第5話
4
「これ、見て」
翌日。わたしは怜を自宅に呼び、写真を見せていた。
「昨日の清田先生。大宮のラブホテルにひとりで入っていくところ」
怜は興味深そうにデジカメの画面を見ている。「もうひとつ、あるよ」。わたしは、写真を切り替えた。かなりぶれていたが、そこには同じラブホテルに入っていく好美の姿が写っていた。
「こういうホテルって、恋人と一緒に入るはずじゃない? でも、清田先生も好美も、それぞれひとりで入っていった。ふたりは、中で合流したんだと思う」
目を大きくして写真を見る怜に、わたしは言った。
「前に好美から、カンニングの相談を受けたことがあるんだよ」
「カンニング? 答案を見せろって言われたの?」
「違う。好美は父さんの力を借りて、先生の机とかパソコンから試験問題を盗もうとしてたんだ。付き合いの浅いわたしのところに相談にきたんだから、相当困ってたんだと思う」
「好美、頭は悪くないんだけど、要領悪いからね……」
「ふたりがホテルで会ってるんだとしたら、それが理由かもしれない。好美は清田先生に試験問題を教えてもらって、代わりにこういうことをしてる。もしそうなら、弱みになるよね」
「まあ、そうかもね」
「この写真を持っていけば、きっと先生は、怜の言うことを聞いてくれると思うよ」
「そうかな?」
怜の反応は、鈍かった。乗ってきてくれると思っていたので、その反応は意外だった。
「そもそも……いまの話、全部憶測だよね?」
「そりゃ、まあ……。ふたりが本気で恋愛をしてる可能性も、あるけどね」
「それ以前に、本当に中で会ってるのかも判らない。たまたま、お互い別の人と待ち合わせをしてたのかもしれない」
「でも、同じ学校の先生と生徒が、同じ時間に、同じホテルに入ってるんだよ? そんな偶然あるかなあ?」
「可能性は低いかもしれないけど、清田が白を切ろうと思えば切れる。それだと意味ないよ」
「そんなこと言ったら、どんな写真撮っても無理でしょ」
「そうかな? ふたりが手をつないで歩いてるところでも撮れれば、言い逃れのできない証拠になるよ」
「ふたりが出てくるまで外で待ってればよかったってこと? 何時間も?」
「そうだね。今回のケースで言えば」
怜は臆した様子もなく言う。
「惜しいんだよ。もう少し、決定的な証拠が欲しかった。清田が言い逃れできないような」
「ちょっと待ってよ。いくらなんでも、あんな場所に何時間もいるのは無理だよ。勝手すぎない? わたしだって、都合ってものが……」
「あっそ。私は、どっちでもいいんだよ」
怜はそう言って、親指と人差し指をしゅっしゅっとすり合わせた。彼女の指の腹が、ほのかに赤く染まる。
「今日も好美に学校でいじめられた。日に日に憎しみが強まってる。なんか、色々どうでもよくなってきてる」
「怜……わたしはちゃんとやったじゃない」
「それだよ。みどり、めちゃくちゃセンスあるよ」
怜はパッと明るい表情になる。
「だって、昨日の今日だよ? なのに、もうこんな写真が撮れてる。すごいよ。天才じゃん」
「持ち上げても駄目だよ」
「本心だよ。本当にすごいと思う。尾行も撮影も、なんでこんなことができるの? みどり、探偵の才能あるよ」
あからさまにおだてられていることは、百も承知だった。おだてられているということは、馬鹿にされているということだ。餌をあげれば芸をする──そう思われてる。
「みどり、お願いだよ。平和な学校生活を取り戻したい。もう少しだけ、調査を続けてくれない?」
怜は頭を床にこすりつけるように下げる。わたしはふーっとため息をついた。
清田先生の行動パターンは、学校の時間割のように正確だった。
先生はいま、部活の顧問をやっていない。帰宅するのは十九時ごろで、それからそのまま家の中に居続けるか、すぐに着替えて外に出る。後者の場合は、駅の売店でおにぎりやチョコレートバーを買い、ホームで食べながら電車を待つ。
先生の行き先は、毎回違っていた。近くの
目的地は違うが、目的は同じだ。先生は、毎回、デートをしていた。
呆れたことに、デートの相手は、好美だけではなかった。
先生の相手は毎回違い、どの人も若かった。先生と同年代くらいの女性もひとりいたが、ほかはどう見ても女子高生だったり、下手をすると中学生に見えるような子もいた。知らないだけで、わたしの学校の生徒も交ざっているのかもしれない。
わたしの尾行は、二週間にわたった。会った女性は全部で六人。先生たちはホテルに直行することもあるし、レストランで食事を取ってから行くこともある。清田先生は持ち前の甘いマスクを使って、多くの若い女性と関係を結んでいるのだ。萌音にいつ出くわすかとひやひやしていたが、幸い彼女の姿はまだない。
〈人間〉が、見えている。
上手く言えないが、そんな感じがした。爽やかな若手教師としての表皮をめくった奥にある、彼の素の〈人間〉。匂い立つようなオスとしての魅力を放つ清田先生を見ていると、彼の本質がこちらにある感じがした。
「もうちょっと、調査を続けてほしい……」
成果は着実に挙がっていたのに、怜はなかなかオーケーを出さなかった。
「ここまできたら、好美とのツーショットが欲しい。大勢の相手と関係してるってだけじゃ、ちょっと弱いと思うから」
「この、女子高生と会ってるやつは? 援交かもしれないよ、これ」
「これ、ほんとに女子高生かなー? 童顔の大学生かもしれないよ?」
怜の要求はしつこく、わたしはなかなか調査をやめさせてもらえなかった。わたしの家を含めてあちこちを燃やすという彼女の話を、恐れていたのは確かだ。でも、それ以上に。
わたしは、探偵というものを楽しんでいた。
変装をし、尾行をし、写真を撮る。透明になり、覗き穴から世界を見つめ、ふと発生する隙間に顔をねじ込み、その奥に潜む〈人間〉を見る。甘美で、
夜、駅前のカフェでコーヒーを飲むのが、すっかり日課になっていた。清田先生は出かけるとき、必ず電車を使う。夜の街に向かうのなら十九時半ごろに駅までやってくるし、それまでにこなければその日は何もない。
カフェのガラスに、変装した自分の姿が映っていた。
変装のやりかたがだんだん判ってきている。奇抜な恰好をすればいつもの自分から遠ざかることができるが、風景から浮いてしまっては意味がない。街の景色に溶け込むように、自然さを保つこと。普段の自分から、距離を持った他人になること。いい変装というのは、そのふたつが満たされているものだ。
ガラスの中のわたしは、黒のキャスケットを
自分の像の向こう、駅前に先生の影が現れるのを見て、わたしは席を立つ。
切符を買い、改札をくぐる。清田先生は京浜東北線のホームに向かい、大宮行きの電車に乗った。わたしはいつものように隣のドアから乗り込み、扉の脇に立つ。
今日は、好美と会うのだろうか。
先生が大宮方面の電車に乗り込むのは、最初に尾行した日以来だ。好美とのツーショットが撮れたなら、怜もさすがに調査を打ち切るだろう。わたしもそこで、解放される。怜は放火をせずに済み、いじめの問題も解決する。めでたし、めでたしだ。
──でも。
胸の奥が、少し
「北浦和。北浦和でございます」
次の駅で電車が停まる。開くドアから身をかわすように、わたしは少し動いた。
そこで、わたしは固まった。
わたしの目の前に、
どうして? わたしは
たぶん、なんとなく移動しただけだ。周囲が混んでいる。ほんの気まぐれ。電車の中を移動する理由なんて、それで充分だ。でも、ここまで距離を詰められてしまった理由は明白だった。わたしが、清田先生から目を離していたからだ。
ふと、清田先生が顔をこちらに向けた。わたしはその視線に、もろにぶつかった。
終わった。
そう思った。清田先生はじっとわたしのことを見る。わたしは目を見開いたまま、死刑宣告を待った。
何も、起きなかった。
清田先生はわたしと目を合わせたあと、視線を外し、中吊り広告に目を向ける。わたしはゆっくりと頭を動かし、先生から顔を背けるように窓の外を見る。ほっと息をついた。どうやら自分が思っているよりも、変装が上手くいっているらしい。
次の駅、
清田先生は大宮で降り、最初の尾行のときと同じく歓楽街に向かっていく。わたしはキャスケットを脱ぎ、
清田先生は以前と同じラブホテルに向かい、中に入っていく。わたしはおなかのあたりにデジカメを構え、その姿を撮影した。アクシデントはあったが、ここまでは順調だ。以前はたまたま成功したこの撮影方法も、きちんと練習して精度を高めてある。撮れた写真を見なくとも、上手くいった感触が指先ごしに伝わってきた。
ひと仕事終えた脱力感が、身体に満ちる。そのときだった。
「榊原?」
いきなり背後から声をかけられ、全身がびくっと反応した。
「何やってんの、お前」
声色で誰かが判り、背筋が冷たくなる。わたしは振り返った。
そこにいたのは、好美だった。
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