第2話



 夕食を終えて、わたしは自分の部屋に戻ってベッドに寝転がった。

〈みどりのお父さん、探偵なんだし〉

 萌音のみならず、学年中の生徒が知っている。わたしの父は、私立探偵だ。

 父はサカキ・エージェンシーという探偵事務所を、ひとりで経営している。大手の探偵事務所から三年前に独立し、いまはここ自宅の一階が仕事場だ。〈浮気調査/行方不明者の捜索/ストーカー・嫌がらせ対策/その他なんでも、お気軽にご相談ください。お見積もり無料〉。そんな看板が家の前に出ているせいで、わたしは友達を自宅に呼べなくなってしまった。

 父の仕事は、わたしも少し変わっていると思う。だから、親の職業をいじられるのは全然構わない。〈探偵ってどんな仕事をしてるの?〉と好奇心をぶつけられるのも平気だ。困るのは、萌音のようなケース、間接的な仕事の依頼だった。

 先輩のカップルを別れさせて。公園で飼っていた野良猫を捜してくれない? 三歳のときに離婚して出ていった母親を見つけてほしい。いままで全部、わたしのもとに実際に持ち込まれた依頼だ。萌音のように友達関係がある場合は穏便に断れるけれど、よく知らない相手からの場合はそうもいかない。断り続けていると〈こんなに頼んでるのに人でなし〉とか〈下手に出てれば調子に乗りやがって〉とか、いきなり相手がひようへんする場合もある。

〈探偵ってさあ、盗みとかもできんの?〉

 ふと、わたしは二ヶ月くらい前のことを思いだした。一年の最後の期末テストの前、好美から相談を持ちかけられたのだ。

〈盗みって? 人の家のゴミをあさったりすることはあるみたいだけど……〉

〈例えば……学校に忍び込んで試験問題を盗んだりとか、そういうことはできんのかなって〉

〈カンニングしたいってこと?〉

 わたしは呆れた。好美は成績はよくないが、こんな馬鹿な依頼をする人だとは思っていなかった。当然そんなこと、できるわけがない。普通に考えれば判りそうなものなのに、好美はしつようだった。

〈じゃあ、ハッキングは? ネットから学校のパソコンに入っていって、試験問題を盗んだりとか、できないの?〉

〈できるわけないでしょ。探偵をなんだと思ってるの?〉

 呆れるを通り越して感心するしかなかった。トンチンカンなことを言ってくる子はいるけれど、あそこまでのケースは珍しい。ただ、これでも最低のケースでないのが恐ろしいところだ。世の中にはもっとひどいことを言ってくる人もいるのだ。

「みどり」

 いつの間にか、うとうとしていたらしい。母の声が眠気を破った。

「お友達がきたわよ」

「友達?」

「なんか困ってるみたいだったけど」

 時計を見ると、二十時を過ぎている。わたしの脳裏を、恋する少女の顔がよぎった。

「友達って、誰? まさか、萌音って子?」

「さあ、よく聞き取れなかった。下で待ってるから、早く出なさい」

 父は、まだ帰ってきていないようだ。探偵の仕事時間はバラバラで、夜に家を空けていることも多い。萌音にじかだんぱんされることにはならなそうだと思い、わたしはベッドから腰を上げた。

「あ……」

 玄関から外に出ると、そこに立っていたのは萌音ではなかった。

 訪問者は、暗い表情でうつむいた、怜だった。

「どうしたの? こんな時間に……」

「ちょっと話したいことがあって。学校じゃゆっくり話せないから、直接きた」

 家に上がる? と目で合図をしたが、怜は黙って首を横に振った。親に聞かれたくない話なのだ。「お母さん、ちょっと出かけてくるね」と言い放ち、わたしはスニーカーを履いた。

 本谷怜。

 一年生のころも同じクラスだったけれど、きちんと話したことはない。

 怜はもともと、好美の取り巻きのひとりだった。運動神経がよくて陸上部で活躍しているだけでなく、百七十センチを超える長身で、ボーイッシュな美形。わたしなんかとは違い、好美が周りに置いておきたがるような、ハイスペックな女子だった。

 そんな彼女が好美たちから「外され」だしたのは、三ヶ月ほど前のことだ。

 理由はよく判らないが、気がつくと怜は好美たちに迫害されるようになっていた。無視され、の坊だの男女だとあざわらわれ、持ちものを捨てられたりしていたのだ。好美の排除は執拗で、怜と仲よくしている人までターゲットにされるので、周りからもどんどん人がいなくなっていく。怜はすっかり暗い顔つきになり、四月からは部活動も休んでいるらしい。

 ふたり肩を並べて、夜の街を歩く。春の夜の、乾いた暖かい空気がわたしたちを包む。吹く風は心地よかったが、わたしたちの間に漂う沈黙は、どこかいたたまれない。

「実は、折り入って頼みがあって」

 しばらく歩いたところで、怜が口を開いた。

「さっき、家の前にあった看板を見たよ。みどりのお父さん、本当に私立探偵なんだね」

 やはり、その話だった。

「なんでも気軽に相談してくださいって、書いてあった。ほんとになんでも、相談できるの?」

「何か困ってるの? 学校の宿題は見てくれないよ」

 わたしの軽口に、怜は全く反応を見せなかった。そのひとみが、暗く沈んでいく。

「清田のことを、調べてほしいんだ」

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