第5話 基礎訓練、赤子が歩く。


 私の魔術授業が始まる。生徒は一人、メルだけ。初等部相当の教育課程なんて今更他人に教えて私になんの得があるわけ? パパの考えは分からない。だけど決めた事は最後までやり遂げる女エトワール。やってみせるわ!


「というわけで、赤ん坊でも出来る一式魔術!!」

「お、おー! って赤ん坊!?」

「そうよ、あんたは魔術のまの字も知らない赤ん坊と同じ! なので私が赤ん坊でも使える一式魔術を今から伝授します。はいこの杖持って」

「おお、魔術師っぽい」

「赤ん坊はこんなもの使わないけどね」

「……」


 ちなみに今、コ・レ・ナンデスはパパに預けてある。あれがあるとメルの魔力が吸われてそもそも魔術を発動出来ないからだ。ブルームさんとの出会いで分かった事だが、よくそんな状態でこの世界を生きていけたものだ。ほとんどこの喫茶店から出ないのが原因か。魔術を覚えさせたらおつかいに出そう。そうしよう。


「で、これをどうするの?」

「じゃあ復唱しなさい。『汝、雨露を滴らせ、焔に揺れて、大地に抱かれ、雷鳴を聴く者なり』」

「な、なんじ、あまつゆをしたたらせ? ほむらにゆれて? だいちにだかれ? らいめいをきくものなり?」

「なんで全部、疑問形なのよ……まあいいわ、続けるわよ『構成の一、点に集まるは力、物質移動エリアレール

「こうせいのいち、てんにあつまるはちから、ぶっしついどう、えりあれーる!」


 するとどうだ、机の上のペンとメルの持つ杖がリンクする。ピンと立つペン。杖の角度とぴったり合っている。


「ま、こんなもんね」

「え、なになに、私、魔術使えた!?」

「まだよ、さあ杖を動かす!」

「は、はい!」


 杖の動きに合わせて、ペンが動く、踊るように舞うように。ペンが机から落ちる。すると。


「おっも!?」

「はいペンのほうに引きずられない。主体はあんた。イメージしなさい! 杖でペンを持ち上げるイメージ!」

「根性論!?」


 ペンがぐぐぐと浮き上がって来るがまた沈む。を繰り返す。ダンベル上げでもしてるのか。筋肉の重要性というのは魔術社会でも捨てたものではないが……少なくとも今は必要ない。今は。


「ペンが重いわけないでしょ? あんたがそう思い込んでいるだけ」

「でも重いよ!? ハーちゃん、持ってみてよ!」

「もう……ほら」


 私が杖を持つと簡単にペンは浮かび上がり宙を華麗に舞う。我ながら見事な軌跡だ。それに見惚れるメル。


「どう? 分かった?」

「う、うん。ハーちゃんってすごい力持ち――」

「違うわッ!」


 ぺちこん、と妙に小気味いい音が部屋に鳴り響いた。涙目でこちらを見つめるメル。


「杖は痛いッス……」

「あ、ごめん」

「頭、陥没したらどうすんのさ……」

「いやだから力の問題じゃないってば」


 はいっと杖を渡す。するとイメージが切り替わったのか、メルは軽々と杖を持ってペンを操ってみせる。宙を拙く舞うペン、それはまるで赤子のはいはいのよう。なんとなく微笑ましくなった。


「おー、動いてるねー」

「なんで他人事なのよ」

「いやなんか自分で動かしてる気がしなくて……」

「それは杖とペンのリンクが甘いから、ほらちゃんと同調させて」

「あわわ」


 私が後ろから抱き締めるような形で、杖を持つメルの身体を支える。だいぶ密着している。こいつ温かいな……体温高いのかしら、そこら辺も子供みたい。それはともかくメルの腕を掴み杖の動きとペンの動きを同期させる。うーん? 上手く標準が定まらない……。なんか揺れてる?


「あんたなに小刻みに震えてんの?」

「い、いや、こんなに密着されるとは……」

「……あんたねぇ、思春期……か」


 もう大学相当まで飛び級してしまったので忘れてしまっていたが、そうか、私達は思春期の女子だ。それがこんなに密着するのは……おかしい、のか?


「ハーちゃんは平気なの?」

「よく分かんないわね」

「そ、そうなんだ……つ、続けよっか。もう、大丈夫」

「ん」


 私が再びメルの背中側から腕を掴み、動かす。空中のペンに動きを合わせ、踊らせる。思春期、思春期か。さしずめ私はこいつの保護者か。いや先生じゃなかったか? よく分からなくなって来たな。ペンが空中で踊る。その軌跡はまだ拙くとも、赤子のはいはいよりはマシに思えた。箒の安全装置セーフティを外すように、そっとメルの腕から手を離す。すると。


「あっ」

「えっ?」


 ペンが地面に落ちる。……失敗だ。また一からやり直さなければ。


「めんどくさい子ね、あんた」

「えへへ、ごめん……」

「……ま、いいけど」

「ありがと、ハーちゃん!」


 さっきまで密着されて震えていたメルがいきなり抱き着いて来た!? こいつの距離感どうなってるんだ!? 今度は私がわたわたする番だった。急に抱き着かれたら誰だってびっくりする。


「な、なによ急に……!」

「あっごめんごめんつい」

「ついで抱き着くのかあんたは! というかじゃあさっきのはなんだ!」

「あー……私くっつくのは好きだけど、くっつかれるのは慣れてないというか」

「なんだそれ……」


 私は溜め息一つ吐いて立ち上がり歩を進めペンを拾い上げる。そして机の上に置きメルに杖を持たせる。


「また呪文からやり直しよ、呪文は覚えてる?」

「記憶力には自信がありません!」

「……はいこれ読んで」


 メモ帳にさらされと呪文を書き記す。メルはといえば「速筆だぁ」とかなんとか言っていたがこれくらい。


「えーと、汝、雨露を滴らせ、焔に揺れて、大地に抱かれ、雷鳴を聴く者なり、構成の一、点に集まるは力、物質移動エリアレールってちょっと待ってこれ日本語じゃないってあれ読めてる!?」

「なに一人コントしてるのよ」


 メモ帳を二度見するメル。その光景がおかしくて笑ってしまった。


「だっておかしいよ! これ日本語じゃないもん! でもスラスラ読めた……なんでぇ?」

「呪文は精神に働きかけるものだからね」

「文字なのに?」

「文字なのに」


 呪文がたくさん記された魔導書なんかは、それだけで自立したのろいと化す事もあるくらいだ。取り扱いには注意しなくてはいけない。けれど、これは一式魔術の初歩の初歩。特に気にする事は無い。


「ええと、もっかい唱えるね?」

「早くしなさい、もうすぐ寝る時間よ。明日も仕込みがあるんだから」

「ごめんごめん、ええと、汝、雨露を――」


 杖とペンが同期する。机の上を踊り、宙に舞い、軌跡を描いていく。及第点、かな。


「はい、そこで円を描く!」

「え、円!?」


 なぜかカクカク動き複数の四角らしきものを描くペン。メルの動かす杖もカクカク動いている。


「なにしてんのあんた」

「だって『円』を描けって」

「……旧語の漢字イメージかー」


 私はがっくりと肩を落とす。なんか色々と残念なやつだ。こいつは。異世界人というのも大変だな、さぞ魔術界では生きづらかろう。このまま喫茶ハルモニア我が家で保護してやるのが一番なのではなかろうか。そう前言撤回である。はじめてのおつかいなど行かせてみろ。迷子どころか借金背負って帰ってこかねない。


「あんた、本気でこの世界で生きていく気なの?」

「うん、ハーちゃんやマスターにおんぶにだっこじゃ駄目だと思うんだ」

「……言うじゃない」

「私も、もう高校生だからね!」

「そっか」


 なら、止めなくてもいいのかな。立派な大人になると宣言している子供を止める権利なんて私には無いのかもしれない。今度こっそりコ・レ・ナンデスに相談してみよう。あんな姿でもメルの親なのだ、若くして死んだらしいが、親らしい事の一つや二つ、助言をくれるかもしれない。パパに聞くのは、なんか恥ずかしいし。


「せいぜい怪我しないように頑張んなさいよー」

「うん! ありがとね、ハーちゃん!」

「エトワール様……じゃないな、先生と呼びなさいな。ふぁ~あ……眠い、もうこんな時間、寝ましょ、布団敷きなさい」

「はーいお母さん」

「誰がお母さんだッ!」


 ぺちこん、と小気味の良い音が鳴り響いた。何回目だろう、こいつの頭、はたきやすいのよね。あんまり叩いてアホになられても困るから自重しないと、かな?

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