第5話 決断

神室はグラウンドからの帰り道、車を運転しながら一日を振り返っていた。


正直監督を引き受けるのは自信がない。しかし選手達の野球を純粋に好きだという気持ちがあんなにも伝わってくるとは思っていなかった。初めて会ったとはいえ放っておけない気持ちが神室の中に膨らんでいた。自分が監督を引き受ける事で選手達のためになるならばそうしてやりたい。しかし前の会社をやめた経緯をまだ米倉に話していないことが気がかりだった。クリーンなイメージが求められる高校野球において、指導者がパワハラで会社を追われた過去があるなど冷静に考えてあり得ないのではないか。そう考えると2つ返事で引き受けるわけにはいかない。とにかく米倉に話をしなければ。


自宅に帰り一息ついた後、米倉に電話をして翌日にアポイントメントをとった。その後は自宅で食事をとり早めに休む事にした。久しぶりに体を動かしたせいか、床に着いてすぐに眠りに落ちた。


翌日、午前中は実家の前の雪かきをし、祖母の買い物に付き合った。その後、幼なじみであり小、中、高校と同級生の竹子雄大(たけこ ゆうだい)が経営する定食屋に足を運んでみることにした。事前に地元に戻っていることは連絡してあり時間をみつけ会いにいく約束をしていたのだ。


竹の屋という店で昼間は定食屋だが夜は居酒屋となり地元に戻った時にはこの店で同級生達と食事をするのが恒例になっていたが、年々帰省する回数も減り疎遠になりつつある同級生たちも増えた。竹子と会うのも何年ぶりだろうか…。


正午過ぎに店に到着し、引き戸を開けるとカウンター席、テーブル席に数名の客がおりなかなか賑わっている様子だった。


「いらっしゃいませ~!あれ?賢治君!久しぶりじゃないの!こっちに戻ってるって雄大から聞いてたから来てくれるの待ってたんだよ!ちょっと待って!今呼んでくるから。」


竹子のお母さんが明るく出迎えてくれた。子供の頃から知っていて良くしてくれた人だ。見た目は老いを感じてしまうが、変わらない少しかすれた優しい声を聞くと安心する。


「おばさん!久しぶり!なかなか顔出せなくてゴメンね。仕事辞めたばっかだけど色々バタバタしててさ…。」


「大変だったね。まぁゆっくりしていきな!」


「ありがとう。雄大は今忙しい時間だよね?」


「大丈夫よ!今ちょうど他のお客さんの料理は出し終えたとこだから!雄っ!けんちゃん来てくれたわよ!」


厨房に向かっておばさんが叫んだ。


「おーう来たか!久しぶりだな賢治!」


タオルで手を拭きながら雄大が出てきた。相変わらず大柄でTシャツから出る腕は神室の倍程の太さがある。


「なんか食ってけよ!サービスだから!」


「久しぶり!なかなか来れなくて悪かったな。じゃあオススメなに?」


「今日はワカサギ入ってるからワカサギの天ぷら蕎麦だな!」


「いいね!それもらうよ。」


「ビールは?飲んでく?」


「いや、車だし今日はこのあと用事があるんだ。遠慮しとくわ。」


「そうか。んじゃちょっと待ってろ!」


と雄大は厨房に向かった。


15分程するとお盆に蕎麦を乗せた雄大が戻ってきて神室が座っているテーブル席の向かいに座った。


「はいお待ち!んで?仕事はどうするか決まったのか?」


「あぁ…まぁ目星はつけたんだけどね。少し悩んでるんだ。そんで雄大にも相談してみようかと思ってさ。」


「どうしたんだよ?」


ペットボトルのお茶を一口飲み雄大はこちらを向いた。


「なんかなりゆきでさ…秀桜学園の野球部の監督やらないかって誘われてるんだよ。」


「はぁ〜?マジで言ってんのそれ?」


「いただきます!」

驚く雄大を一旦無視して割り箸をパキッと割り、出汁汁を少しすすって4尾のワカサギの天ぷらがのった蕎麦をすすった。食べ慣れている本当に優しい地元の味が変わっていなくてホッとした。一呼吸おいて話を始めた。


「俺もびっくりだよ。なんで俺なの?ってね。けど今の部長さんが熱心に誘ってくれるからとりあえず昨日練習観に行ってきたんだよ。そしたら良い選手達でさぁ。監督いなくて不安だろうに一生懸命練習してんだよ。それ見たらほっとけなくてさ。」


また一口お茶を飲み雄大が言った。


「そんで、受けたのかよ?」


「いや、今日これから会って返事しに行く。けど一つひっかんだよな…。」


「前の仕事の事か?」


「それ!神聖な高校野球の指導者がパワハラで会社辞めさせられたってやっぱヤバイよな…」


はぁ~と面倒くさそうにため息をついて雄大は続けた。


「そりゃあ全く影響しない事はないだろうけどよ。大事なのは事実より本質なんじゃないの?お前がやったことが本当に間違ったことでお前がそう納得してるなら素直に引き下がるべきだと思うけどよ。お前の中の正義感とか、常識に従って行動した結果なんだろ?正しい事だけが認められない世の中で胸くそ悪いけどな、そんな中でもしっかり人の中身見て判断してくれる人を信じていけばいいんじゃないの?もし正直に事実を話してその結果やっぱりお前には任せられないって判断されたらそれは仕方ないことだけど、お前がしたことが間違ってないって思ってくれたらそれはちゃんと内面で人を判断してくれる世界の住人で、お前はこの先そういう世界でやってけるってことだろ?だからお前がホントにやりたいって思ってるんならその気持ちに正直になって行動するべきじゃねーのかな。それで失うものなんてそんなに持ってねーだろ。」


思いがけず真剣な意見を言ってくれたことに少し驚いた。しかし本当にありがたいと思ったし間違いなく背中を押された気持ちがした。自分の中で踏ん切りがついた気もした。


「そうだな…。そうだよな。ありがとう!」


色々な言葉が胸の中に溢れたがなんだか照れくさくて口をついて出たのはそれだけだった。夢中で蕎麦をすすり間をつないだ。その間、雄大はなにも言わずぼうっとテレビを眺めていた。


「ごちそうさん!やっぱ雄大の蕎麦最高だわ!」


蕎麦を食べ終えテーブルを立った。


「んじゃ100円な!」


「いや、いーよ。普通に払うよ。」


「サービスって言ったろ!100円は相談料だよ!」


「相談料はとるのかよ…まぁ100円にしてはありがたいお言葉だったよ。じゃあホントにありがとう!」


テーブルに100円玉をバチッと置いて店を出る。


「どうなったかちゃんと教えろよ!ダメでも慰めてやっから!ゆっくり酒でも飲もうや!」


「おぅ!んじゃ!」


店の引き戸を閉め外に出てフッと息を吐き米倉のもとに向かう事にした。





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