三好家の使者

天文七年(一五三八年) 10月上旬 山城国桂川東岸


「そうか、宗滴殿が」


 俺は驚きを受けながらもどこか納得した心持ちで報告を受けていた。まだ決まったわけではないが、まさか朝倉が冨樫へ臣従する選択を採るとは夢にも思わなかった。越前統一に向けて多少なりとも苦しむだろうが、宗滴ならば杞憂に終わりそうだ。


 次郎兄上の寄越した書状を見ても、ある程度納得のいく流れだった。若い頃の宗滴ならば変わっていただろうが、野心を捨てて主君を支えることに全力を注いで天寿を全うした史実とは、大きく異なる現状を迎えているのだ。


 三好長慶の例を挙げると極端だが、行動や信念の根源となっていた生き甲斐が崩れれば、人は途端に人生の進むべき方向性を見失ってしまうものなのかもしれない。


 なんにせよ、越前が完全に支配下となることで、六角の領国と加賀が繋がるわけだ。これは六角にとっても冨樫にとっても非常に大きい。互いが救援をできるようになり、経済的な連携も深まるだろう。


 次郎兄上は飛騨を統一する腹積りらしいが、万が一にも負ける想像すらつかないのは、本当に頼もしくなったものだと思う。しかも、あの宗滴に認められ、主君として仰ぐに足る人間だと判断されたことが弟としては何よりも嬉しい。


 元々俺は加賀一国を取り戻した後、平和を脅かす外敵を駆逐し、大勢力に恭順することしか考えていなかった。己の掌に収められるものは然程多くないし、それ以上のものを掴もうとすれば不要な犠牲を生む可能性が高いと思っていた。ましてや、天下など考えにすら無かった。


 それが今、天下を争う大一番に立たされている。そして日ノ本に平和な世をもたらすため死力を尽くす覚悟も得た。この天王山は絶対に勝利を手にしなければならない。


 細川軍は南西に位置する五塚原古墳の北に本陣を構えた。しかし俺は細川が動きを見せない限り本隊を動かすつもりはない。細川も桂川の横断はリスクが伴うため、安易に動くことはしないだろう。つまり、お互いが動きを見せない限り膠着状態が今のまま続くことになる。


 だからこそ、俺は細川軍を内部から突き崩す策を探っていた。


「靖十郎様、三好の使者が参り申した」

「通してくれ」

「はっ」


 安吉源左衛門の声を受けて、俺は微かに口の端を吊り上げる。


「松永弾正忠、使者として参上致しました」


 俺はこの戦いで勝つためには三好家との協力が不可欠だと考えていた。そして三好との連携、そしてこちらの意図を最も汲めるであろう人物として俺が使者に指名したのが、この松永久秀であった。


「うむ、六角左近衛権中将だ。私と孫次郎殿が初めて顔を合わせた時以来であるな」

「覚えておられるのですか?」

「無論覚えておるぞ」


 久秀は目を丸くしてこちらを見つめる。特徴的、とまではいかないが、ある程度イメージに即した容姿であって、俺は口には出さなかったが一目で分かった記憶がある。


「いや、わざわざ某を使者として名指しされた時点で、分かりきっておりましたな。失礼を申しました」

「ふっ、構わん。早速本題だが、三好は我ら六角に合力するということでよろしいのだな?」

「無論にございまする。その上で、こちらが味方を装って細川の背後を突くことも了承しております」


 そう、ここまでは既定路線。三好利長が父の仇である細川六郎に対して心の底では根強い復讐心を燃やし続けていて、利害が一致するのは分かっていた。


「それだけではつまらぬな。弾正忠殿、私は貴殿と話したかった」

「一家臣にすぎぬ私と、ですかな?」

「回りくどいことは止めよう。細川を倒すため、お主に忌憚ない意見を聞かせてもらいたい」

「某は三好家の参謀でも無ければ、武官でもありませぬぞ」

「立場、身分など関係は無い。勝手な憶測だが、貴殿の目からは下剋上の野心を感じる。貴殿は物事を冷徹に俯瞰して、微細な穴をも見つけ出すことができるが、それを指摘する立場に無い故に飲み込んでいる。しかし穴のある策に忠実に従うことを求められ、目上の者に良い様に頤使されることを良しとは思うておらぬはずだ。このままだと溜め込んだ不満が貴殿の実直な心根を捻じ曲げ、他者を信じず、如何に人道に反していようと己が正しいと思うたことを躊躇なく実行する奸譎な人間へと堕ちてしまうやもしれぬ」

「ふ、ふふ、これは驚き申した。某の性根や未来をも見据えるとは、流石神仏の御遣いといったところでございましょうか」


 感嘆の色を帯びた笑いを溢す。


「この戦い、万が一にも負けることは出来ぬ。負ければ天下の騒乱が収まるまで30年は長くなることだろう。六角家嫡男として、その様な未来を許すわけにはいかぬ。尼子は大軍を率いて参陣したが、大内や山名とは不仲だ。私は離間の計を以て尼子をけしかけ、細川を突き崩そうと考えておる」


 菅助の献策を元に考えた作戦が、離間の計からの三好軍謀反、そして本隊の桂川渡河という三段構えの策だった。


「某が考えるに、細川も尼子と大内、山名の不仲は重々承知しておりましょう。されど尼子軍を率いるのは名将・尼子伊予守。大内と山名を合わせても総兵数は5千程度故、滅多なことでは揺れ動きませぬ。となれば尼子軍が信ずるに足る衝撃を与える必要がございまする」

「衝撃、とな?」

「はい。突拍子も無いことを申しますと、火薬に火をつけ尼子軍に投げつけるくらいの衝撃があれば、離間の計に尼子軍も信じざるを得ないはず」


 松永久秀の口から火薬に火を付けるという言葉が出たことに俺は一瞬頬を緩めてしまった。久秀は火薬に火を付けて爆死したことが後世で広まっている。火薬を知っているのも、日ノ本ではまだごく僅かだろう。


「火薬を知っておるのは流石三好の者というところかな。確かにそれぐらいせねば、尼子は揺れ動かぬか。弾正忠殿、感謝するぞ」

「もう一つ、これは細川六郎を何度か近くで見た某の勝手な印象にございますが、あれは他に類を見ないほど狡猾で用心深く、些細な違和感にも疑り深く目を向ける人間にございまする。此度の戦前に援軍の要請に対して一度は拒否の選択を取った三好が、今頃になって援軍としてやってくることに対して疑いの目を向けるのは間違いないでしょう」

「となれば味方を装い奇襲するのは難しいか」

「ならば出血を覚悟で六角軍が細川に先制攻撃を仕掛け、乱戦の最中に背後から三好が迫るという筋書きにした方が、余程細川軍の警戒が緩んだ隙を突くことができましょう」

「左様か。確かにその意見、尤もであるな。この天王山、己の痛みを恐れればみすみす勝ちを逃す恐れがある。多少の犠牲は甘受するしかあるまい」

「僭越ながら差し出がましく申し上げました無礼、何卒お許し頂きたい」

「いや、忌憚なく申せと言うたのは私だ。むしろ的確な指摘に感嘆を覚えたほどよ。これからは正式に貴殿を三好との取次役として頼みたい」

「はっ、ありがたきお言葉にございまする」

「では仔細を詰めたのち、機を見て決行致そう。ここで決めたこと、三好伊賀守殿にお伝えいただこう」

「承知致し申した」


 久秀はどこか晴れやかな微笑をたたえて鷹揚に頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る