細川軍の亀裂

天文七年(一五三八年) 9月下旬 摂津国芥川山城


 予定よりも少し遅れ、大内軍が芥川山城へと到着した。その軍勢を見て、西国の有力大名筆頭である尼子家当主・尼子伊予守経久が憤懣やるかたない心情を抱えて細川六郎の下へとやってきた。


「大内は舐め腐っておるのか? たった三千で戦いに参加した気でおるなど、笑止千万。それだけでなく、当主の周防介すら姿を現さぬとは」


 経久は、周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前の六ヶ国の守護職を兼務する大国の主とは思えない大内の寡少な兵数に憤慨していた。同時に、大内家当主・周防介義隆は溺愛している養嗣子・大内晴持すらも派遣する事はなく、重臣の陶尾張守興房を名代として総大将に据えていた。


 重臣で少弐家を滅亡に追いやった名将であるものの、経久は御内書を受けて大軍を以て自ら出陣したのだ。にも関わらず、大内は茶を濁すような手の出し方に留めていたという事実に、経久は殊更不満を抱く。


 大内と尼子は長年争いを繰り広げ、特に石見銀山の権益を巡って長く対立していた。反尼子を掲げ、出雲大社などを巻き込んだ経久の三男・塩冶興久の乱の際に大内が経久側を支援したことから和睦に至るが、それは表面的なものに過ぎず、石見銀山の奪い合いが今日まで継続されている。


「仕方なかろう、大内は大友との睨み合いが続いておるゆえ大軍は出せぬと事前に申しておったのだ。責めるわけにもいかぬだろう」


 六郎は宥めるように告げるが、六郎としても期待した数よりも大分寂しいものだった。


「大内は大友と昨年和睦をしておるはず。体の良い言い訳にすぎぬ」

「形だけの和睦など大した意味を為さないことくらいお主が一番理解しておろう」


 大内は前将軍・足利義晴の仲介を受け大友と和睦しているが、経久は昨年和睦中でありながらも、大内が大友との戦で手一杯になっているのを見計らい石見銀山を攻め獲っている。そうした行動を起こしても、非難する第三者は西国には存在しないのだ。将軍家ももはや風前の灯火であり、今現在畿内の権力を細川か六角か、そのどちらかが手中に収めるのはもはや決定事項である。それゆえに、将軍が斡旋した和睦でさえも一時的に流れを堰き止めるものでしかなく、いかに心許ない調停に過ぎないかを理解していた。


「それでも我らにとっては看過できぬものにござる。我が本国の守りが手薄になったのをこれ幸いと見て、大内が石見銀山を手中に収めんと兵を向ける可能性は大いにある」

「お主の申したい事も分かる。しかし今は六角との戦を控えた大事な時ゆえ、ここは不満を収めては貰えぬか?」


 経久とて、ゴネたところで全く意味がない事は理解していた。妥協点として、経久は要求を告げる。


「ならばこの戦が勝利で幕を閉じた暁には、石見の守護職を尼子に譲ってもらおう」


 経久は大内との真っ向からの対立を望んでいる訳ではなく、大内が東への興味を断つことを望んでいた。大内が足利義晴に幕政への参画を命じられた際にも尼子はそれを阻止するため動いている。大内の中央政界への影響力は尼子にとって脅威に外ならなかった。


 大内は安芸武田家を屈服させ、毛利を臣従させたことで安芸国における権益を増大させており、また備後においても経久自ら率いた細沢山の戦いで敗れたことで大内方に多くの国人が寝返っている。大内のこれ以上の東進は何としても食い止めることこそ経久の掲げる至上命題だった。


 尼子は反尼子の姿勢を鮮明にする山名とも争っている。その山名も参陣しており、今回の戦では尼子ととりわけ仲の悪い大名が協働する必要があった。大内や山名との共闘が求められるにも関わらず経久が参陣を表明したのは、細川政権での発言力を一気に高める狙いがあった。尼子は両細川の乱で高国側に付いたことで幕政における影響力を大きく減衰させている。その状況を一気に覆すには細川六郎に大恩を売り、尼子家の力を内外に示すことが必要だった。1万5千もの兵を動員したことからもその気迫が窺える。


 もっとも、山名はかつての勢威が翳りを見せ、但馬国では出石郡のみしか掌握がままならない状況に陥っていた。そのため、大内が兵を出していないことは、むしろ尼子が突出した力を誇示する上では相対的に都合が良くもある。


 そうした思惑を胸中に渦巻かせつつ、あえて感情を露わに訴えかけることで、細川に多少なりとも負い目を抱かせることが経久の狙いであった。そうして心情的にも圧力を加え、戦後の中央政界を牛耳る目論見も腹に宿していた。


「……致し方ない。その様に取り計ろう」


 大内も少ない兵とはいえ参戦している以上、守護職の没収などあり得ない話である。しかしそうした経久の畿内への熱量は六郎も察するに余りあるものであり、それよりもこの場で要求を跳ね除けて経久の協力を失うことが最も痛手だった。


 大内には代わりに大友の領国である豊後・筑後の守護職を与えれば良いだろうという思考に至ったのは、自らが畿内の覇者として君臨する自信の表れでもある。


 六郎は経久の去った後の沈黙を前に、張り詰めていた気を振動させる様に吐き出すばかりだった。

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