小鷹利家の調略
「萩城、如何であった?」
「はっ、警戒が無いに等しく、易く制圧が可能かと存じまする」
植田順蔵が粛々と冨樫泰俊に告げる。塩硝の運搬路を通じて白山を越えた冨樫軍は、深夜の五箇山に布陣した。夜間に限らず五箇山に人が訪れることは殆どなく、周囲に露見することなく総勢1万の兵が飛騨国侵入を控えていた。
泰俊は斥候によって既に帰雲城の偵察を命じ、逐一状況を知らせている。萩城は北からの外敵の侵入を守る帰雲城の支城であるが、北からの侵入を想定していないのか人の姿も疎らだった。当然だろう。北は常識的に考えれば越中一向一揆が強い勢力を誇る土地であり、白川も一向宗徒が非常に多い土地であった。新川郡守護代の長尾や越中守護の畠山が攻め入ってくることは考えにくい。
最初から和平を選択肢から除外し、奇襲による早期決着を目論んでいるのは、帰雲城城主・内ヶ島兵庫助氏利も一向宗徒だからだ。氏利が病弱ゆえに隠居した内ヶ島雅氏も未だ強い権力を家中で誇っており、冨樫家に対して並々ならぬ敵意を向けているのはこの雅氏である。
内ヶ島家は元々本願寺と敵対する立場にあった。正蓮寺の三島将監という住職から還俗した武士が主導する本願寺勢力によって西飛騨は内ヶ島家と共に二分されており、これを看過できなかった内ヶ島家はこれを襲撃、辛くも勝利を得たのだ。
その後、蓮如による調停の申し入れを受け入れた当時の当主・内ケ島為氏は、三島将監の弟の遺児である明心に孫娘を娶合せることで正蓮寺の再興を認めた。結果、西飛騨においては内ヶ島家が圧倒的な権威を見せることとなり、現在に至る。そして内ヶ島家は和睦を機に本願寺に対して友好的な態度を示すようになり、後に生まれた雅氏は熱心な一行宗徒となったのである。
そのため、一向一揆を国から排斥し、一向宗を禁教とした冨樫家に対してはとりわけ強い敵意を抱いていた。
「兄上、この様子であれば帰雲城を落とすのにはそう手間取りはしないでしょう。しかし問題はその後にございまする」
「左様であるな。内ヶ島を攻め滅ぼしたとて、郡上で戦っている最中に飛騨の諸侯が好機と見て帰雲城を攻めれば、我らは退路を失ってしまう。この城を落として終わりとはならぬな」
泰俊は外交面において非常に聡く、間髪入れず返答する。その返事に泰縄も微笑んだ。
「賢察にございますな。仰る通り、飛騨の諸侯を調略すべきかと存じまする。飛騨には現状三つの国司家があり申すが、このいずれかを調略するが吉かと」
国司家を調略することにより、将来の飛騨侵攻の大義名分ともできる。そうした意味も込めた泰縄の言葉だった。
飛騨国司姉小路家は三つに分裂し、古川、小島、向(小鷹利)の三家が国司宗家の座を争って激しい抗争を行っていた。しかしその中で古川家は当主が三代続けて不審死を遂げてたことにより、古川富氏に実権が渡る。当然ながらこの死には権力を目論む富氏の関与があったのだが、それに対して家臣・三木大和守直頼が小島、向と結んで兵を挙げ、攻め滅ぼすことに成功した。
しかしその結果三木家が隆興を遂げ、小島時秀と結託して三木は勢いのまま古川家を傀儡としている。古川富氏を葬ることまでは向家が認めるところであったが、三木家が古川家の実権を掌握してしまうところまでは本望ではなかったのだ。結局三木家の台頭と小島家の勢威拡大によって向家は相対的に勢力を後退させ、三木家の圧力を今日まで受け続けている。
「うむ、そうすべきであろうな。三木の伸長は他の国司家も憂慮しておろう」
このように、北飛騨は三木と小島の二勢力が現状大きな力を持っている。三木家も一向宗徒であり、内ヶ島家とは緊密な連携を重ねていた。そのため、味方にするのは不可能だろう。小島家の現当主・小島時親は三木との協調路線を崩さず依然大きな勢力を抱えており、こちらの懐柔に靡くか可能性は低かった。
「となれば小鷹利左近衛少将が最も組みしやすいかと存じまする」
「ふむ、小鷹利城は帰雲城とも程近い。飛騨国司として最も窮乏に瀕しているのはこの小鷹利であろう。小次郎、味方に引き込めるか?」
「必ずや、成功させて見せましょう」
小次郎は鷹揚に頷いた。
◆◆◆
「左近衛少将殿、お初にお目に掛かります。冨樫小次郎と申しまする。突然の訪問を受け入れていただき誠にかたじけない」
「いやいや、加賀守護・冨樫家の使者殿が訪れるとあっては、受け入れぬわけにもいきますまい」
小次郎は『飛騨国司である小鷹利左近衛少将殿にお目通願いたい』と事前に通達していたが、この言葉には冨樫家が国司宗家が小鷹利家であると認めているということを示している。生来気が強くない貞熙は、三家の内訌でも後塵を拝することが多く、特に主家・古川家に対し下剋上を目論んだ三木に手を貸すことを疎んだことで居城を失い、こうして追い詰められていたのだ。不遇な人生を送ってきたゆえか、貞熙の瞳には感激の色が濃く帯びている。
「大した宴も開けず申し訳ない。本来ならば盛大に迎え入れるべきなのでしょうが」
飛騨は元来貧しい国ではない。石高こそ低いが鉱山資源が豊富であり、比較的裕福な暮らしを送っていた。しかしながら小鷹利家は居城を追われたことで山間の小鷹利城に落ち延びるしかなく、貧しい暮らしを送っていた。それゆえに盛大な歓待は催すことができず、屈辱的な表情が見え隠れしている。
「いえ、お気になさらず。こうして菊酒も持参したわけですからな」
「おお、菊酒にございますか! 飛騨にもその名は轟いておりますぞ。といっても今は値が高騰し、滅多にお目にかかれないのですがな」
パッと表情を明るくした貞熙は、目を瞬かせながら菊酒を見る。しかし次の瞬間表情には翳りを帯びた。国司という立場にありながら、菊酒すらも入手できない現状を悔いるような様子である。
「失礼とは存じまするが、相当な窮状にあるようですな」
小次郎の言葉自体に気分を害する様子はなく、ひたすら自身の置かれている状況に対して無念を示すように視線を落とした。
「横暴な三木に多くの財を奪われましてな。今は古川を傀儡として自らが国司だと言わんばかりの態度にございまする。許せませぬ」
三木の横暴に対して爪を自らの掌に食い込ませながら憤怒を滲ませる。
「当家も一向一揆によって守護の立場を簒奪され、人も財も全てを失い申した。そこから挽回を図るには、相当の運と余力が残っていなければなりませぬ」
「そのいずれも、今の小鷹利家は持ち合わせてはおりませぬ」
「運は最後まで諦めることがなければ舞い込む可能性があるものですぞ。そして余力というのは気力と同義。その二つがあれば、いくらでも捲土重来を期すことができるのです」
冨樫家は国を追われながらも守護復帰を最後まで諦めなかった結果、思いもよらぬ幸運を得た。そして余力で一向一揆を打ち破り、加賀一国を取り戻した。運があっても、余力が無ければ意味がない。余力があっても、運が無ければ機を掴むことは難しいのだ。
「言うなれば、貴家は以前の当家に似た状況。もし左近衛少将殿に気力があるのならば、当家が運をお授けしましょう」
「運、とは?」
「小鷹利家を正式な飛騨国司として我らが全力で支援致しまする」
「ま、真にございますか?」
「縁を結ぶべく、重臣の山川源次郎が次男・
「それは臣従せよということですかな?」
「いえ、あくまでご提案にございまする。ただ、臣従となれば貴家との絆はより深まる上、我が兄上も貴家を守るため、後方支援でなく、武力を以て支援を惜しまぬはずにございましょう」
無理に臣従を迫るのではなく、あくまで自発的な歩み寄りを求めた。臣従という選択をすることで手厚い支援が保障される。そして小次郎は、左近衛少将は見捨てられることを何より危惧しているはずだと踏んだのだ。同盟では、あくまで後方支援のみだということを暗に突きつけた。
「しかし、加賀から援兵を送ることは不可能でありませぬかな?」
加賀から兵を入れるには、越前または越中を抜けて入らなければならない。迅速な支援など到底不可能だという疑問も当然だった。
「左近衛少将殿は郡上にて朝倉の内訌が起きていることはご存知ですかな?」
「隣国ゆえ、無論存じておりまする」
「我らはその救援に向かうゆえ、帰雲城の奪取は不可欠という訳です」
「しかし加賀からは白山があるゆえ、兵を入れるのは至難にございましょう」
「我らはこれを見越し、秘密裏に道を開設致し申した」
「加賀から飛騨に入る道があると?」
「左様。そして貴家の当家への臣従が相成れば、西飛騨の土地を全てお任せ致したく思うておりまする」
「にわかには信じがたいですが、これを突っぱねれば小次郎殿の仰っていた『運』を逃すことになるのでしょう。もはや止められぬ凋落の途にあった我らにございまする。失うものは何もありませぬ。我らが全て失っても、加賀にて受け入れて下さりますかな?」
「無論、丁重に受け入れましょう。ただ、そのような未来はありませぬぞ」
小次郎は弱気な貞熙の態度に苦笑いを浮かべつつも、肯定の言葉を述べる。
「分かり申した。その提案、飲ませて頂きましょうぞ」
「ご英断感謝致しまする。早速にございまするが、一つ頼みたいことがあり申す」
「お聞き致しましょう」
「帰雲城を落とした後、小鷹利城に2000の兵を送り申す。もし三木や小島に帰雲城を奪還しようとする動きがあれば、これを止めたいと存じまする」
「承知致し申した。我らも全力を尽くしましょうぞ」
先程まで弱気の塊のような様子だった貞熙は、急激に気力を取り戻したのか瞳には炎が燃え盛っていた。
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