越前騒乱

天文七年(一五三八年) 8月 越前国朝倉館


 朝倉孝景は受け取った御内書にどう対応するか、意見の取りまとめに腐心していた。家中で想定以上の反発が上がったからである。どうにか説得に説得を重ねて六角攻めに待ったをかけようとするも、逆に火に油を注ぐ結果となっていた。今にでも独断で率い、六角を攻めてしまうのではないかというほどの勢いすらある。


「兄上、これほど申してもまだわかりませぬか? 多くの者が将軍家に呼応すべしと申しております。将軍家のため、今こそ兵を挙げるべきでは?」

「静観が吉である。決して意見は変えぬ。将軍家が目指す天下泰平のため、などと綺麗事を並べてはいるが、お主の魂胆は見え見えよ。朝倉家当主の座を譲れとでも申したいのだろう。無理な話だな」


 景高は届いた御内書の内容を迅速に家中へ広め、派閥を形成した。無論、現当主に叛旗を翻してまで元々好感度の低かった景高の下に付こうというものは少ない。景高の述べる綺麗事に耳を傾ける者は誰もいなかった。しかし、幕府の御内書とあっては話は別である。親幕府派として派閥を構成した重臣らは、命令によって動くといった立場ではなく、あくまで協力、対等な立場だった。当然景高は自分の下に付かないという言葉に苛立ちはしたが、兄を降せば自然と傘下に降りるだろうと楽観視していた。


「そも、お主は朝倉館への出入りを禁じたはずだがな」

「今更小さな事を気にするのはおやめになった方がよろしいかと。当主たるもの、寛容にあらねばいけませぬぞ」


 どの口が言うのか、と孝景は漏れ出そうになったため息を喉奥に押し込む。吐き気に似たようなものを覚えながらも、孝景は毅然とした態度で景高に向き合った。


「今、朝倉領は六角と冨樫に挟まれた状態にある。いくら同盟関係とはいえ、六角を攻めれば冨樫も盟約を断ち切って兵を挙げるだろう。そうなれば当家は窮地に陥る。それを分かっておるのか?」

「冨樫とて、越中の一向一揆が懸念でありましょう。大した兵力は出せないはず。当家は六角と領地を接しているわけでもありませぬ。若狭の武田には六角の娘が嫁いでいるとはいえ、細川に味方する姿勢のようにございます。兄上の仰る後顧の憂いが、この絶好の好機を逃すほどのものであるとは到底思えませぬな」


 六角に対しても融和的な姿勢を見せてきた武田だったが、若狭武田家六代当主の武田大膳大夫元光は、細川六郎の妹が妻となっていることもあり、細川に全面的な協力姿勢を公にしている。病に臥せっており先は長くないという噂ではあるものの、以前家中での発言力は大きいものであった。家督を継いだばかりの現当主・武田彦二郎信豊は怯懦な性格であり、本来若狭武田家が代々任ぜられるはずの大膳大夫の官位を室町幕府から得る事ができずにいた。代わりに同族の武田晴信が大膳大夫に任ぜられている事実は、武田信豊の自尊心を少なからず傷つけている。


「絶好の好機、とな。本音はやはりそれか」


 これまでは言葉を取り繕っていたが、景高の口から本音が漏れる。派閥を先導する立場として、耳当たりの良い言葉を並び立てているだけなのは明白だった。


「六角は土岐の内訌に介入し厚顔無恥にも我らの邪魔をしただけでなく、同盟の浅井を滅ぼし申した。六角は大きく飛躍し、我らは大した物を得てはおりませぬ。皆、六角の討伐を願っておりまする」

「愚かで浅慮な考えだ」


 事実、朝倉孝景の周囲との関係を重視するあまり拡大を是としない姿勢に対して、家中でもたびたび否定的な意見が挙がる。


 親幕府派は朝倉景高に加え、朝倉義晴の奉公人である前波藤右衛門尉景定、魚住彦三郎景栄、真柄十郎左衛門家正といった重臣ばかりである。孝景は親幕府派というだけで糾弾するほど腹に据えかねてはいなかったが、景高の口車に乗せられて敵対姿勢を見せたのには、少々怒りを覚えていた。


 対する親六角派は当主・朝倉孝景に朝倉宗滴、冨樫との外交を担当する溝江河内守景逸、府中奉公人の河合安芸守吉統、青木上野介景康らであり、両者の対立は均衡している。


「兄上がどのように反論しようと、もはやさしたる障害ではございませぬがな」

「如何なる意味だ」

「言葉の通りにございまする。立ち入りを禁じられている私が何人の妨害もなくこの場に座していること、疑問に思いませなんだか?」

「まさか!」

「朝倉館は既に占拠されておりまする。館の警備を怠っていたのは失敗にございましたな」


 景高は不敵に微笑む。孝景は背中に温い汗が伝うのを感じ、奥歯を軋ませた。


「幕府が六角討伐の御内書を朝倉に向けて送ったのも筋が通らぬと思うておった。すべてお主の差し金であったということか」


 肯定するように鼻を鳴らす景高を見て、孝景は自らの不覚を呪う。


 将軍家を乗っ取り御内書をばら撒かせる細川の策謀には、この朝倉景高が一枚噛んでいた。此度は御内書によって家中を二分させ、家中の権力を握ることが目的であり、六角領への侵攻という手段に対し、表向きは細川に協力する姿勢ではありつつも、家中の掌握を最優先にする腹積りであった。


「今気づいても遅うございまする。兄上、お覚悟を」


 孝景は己の愚かさを瞑目して噛み締める。直後、景高の供回りが乱雑に襖を打ち破り、手に持っていた刀で孝景の左胸を貫いた。朝倉家10代当主・朝倉弾正左衛門尉孝景は、弟の謀反によりその生涯を閉じたのである。

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