将軍の幽閉
天文七年(一五三八年) 8月 丹波国八上城
「備前守様、北嶺御所が……!」
「与兵衛、如何したのだ」
息を切らせて押し入るように入ってきた波多野秀親の姿を見て、秀忠は瞠目する。
「北嶺御所が諸侯に御内書を送っているとの仕儀にございまする!」
「御内書? 内容は如何様に?」
「それが……六角を攻めよと」
「なんだと!?」
秀忠は奥歯を軋ませながら前のめりになる。
「義晴様は親六角派のはず。背後にいる六角が実権を握っている今、自ら率先して六角に刃を向けるはずがない。義晴様は六角を余程信頼している様子だった。これは何かが裏で糸を引いているに違いない。身動きが取れぬ状態にあるのやもしれぬ」
「……義晴様が危ない」
秀親は反射的に踵を返すも、背後から声高に呼び止める声があった。
「ならぬ! 細川は我らの動きをおそらく監視しておる。我らが何方に付くか、試しておるのだ。ここで兵を連れて北嶺御所に行くようなことがあれば、細川に弓を引いていると判断されかねん。ただでさえ内藤が我らの領地を虎視眈々と狙っておるのだ。ここは静観が吉である」
秀忠は細川六郎の意図を理解していた。細川を選ぶか、幕府を選ぶか、はっきり示せと。六郎の言っていた『策』の意味を理解し、無碍に扱うことはないという言葉、その枕詞に『裏切らない限り』という言葉が入るのだと気づいたのだ。あのとき感じた微かな違和感は間違いではなかったと、秀忠は小さく息を吐いた。
前将軍・足利義晴は、現将軍・足利義維の家臣によって捕らえられる。義維の将軍就任以降数ヶ月の静寂を保っていたことで、義晴の身辺警護は大幅に縮小されていた。義維の家臣は元は細川持隆の配下だったものが多く、持隆を補佐する役割を担っていた六郎にとっては手駒の一つでもあった。細川六郎の命令を忠実に遂行した義維家臣は、義晴の身柄を比叡山延暦寺の廃寺の一つに幽閉していた。周囲に厳重な警備が敷かれる中、義維が静かに姿を現す。その姿を視認するや否や、義晴は掴みかからんばかりに距離を詰めた。
「義維、これはいかなる横暴であるか! お主の言葉が偽りだったと申すのか!」
義晴は普段の温厚さからはかけ離れた激昂ぶりで、義維を糾弾する。義晴が将軍職を委譲してから現在まで、北嶺御所は平穏そのものであった。義維とその家臣が将軍家に加わったことで滞っていた政務も円滑に回るようになり、義晴もその利益を肌で感じていた。
義維との関係も大幅に改善し、囲碁や将棋を楽しんだり、弓術を競いあったりと兄弟らしい娯楽にも興じるようになっていた。
自身の志を語り合い、「幕府の権威を取り戻す」ために死力を尽くすと誓い合ったばかりだったのだ。義維もそこ心に偽りはなく、つい最近までは共に手を携えて見る未来に希望すら抱いていた。
「仕方がなかったのです。我が子が人質に取られているとなれば、こうする他なかった」
それが一転して阿波の細川持隆の下で養育されていた仙幢丸が若狭に送られ、細川六郎の手に渡った。細川とて将軍の身柄を引き渡したのは多少の痛みを負う覚悟の上だったが、仙幢丸という手札を新たに手に入れたことでほくそ笑んでいたことだろう。
「お前に子がいたと言う話、この耳には入っておらぬぞ」
「今年の春、仙幢丸の名で生を受け申した。しかし、細川が意図的に誕生を隠蔽したのです」
後の足利義栄である仙幢丸の名前は、次期将軍である菊幢丸を意識して細川が付けたものだった。仙という字は菊幢丸を凌ぐ力があると言う意味を内包していたが、頭に血が昇っていた義晴がそれに気付くことはない。
「やはり細川の策謀であったか。将軍の子を人質にするなど、前代未聞であるぞ」
「兄上、申し訳ございませぬ。私にはどうすることもできませなんだ……。六角を攻めよという御内書を撒いたのも、細川の命にございまする」
「六角を攻めよ、とな。ふ、ふはは。義維との和解を細川が斡旋したと聞いて怪しいと思うておったのだ。備前守も何も知らなんだのであろうな。全ては細川の策謀の下、我らは泳がされたわけだ」
義維との和解を受け入れたのは自分自身であるがために、義晴は乾いた笑いで自らの判断を呪うしかなかった。
(せめて、事前に六角と相談すべきであったな)
六角を頼ることは幕府権力が墜ちていることを証明する行為である。幕府を保つために頼らざるを得ないのが現状だが、身内における和解までをも六角に相談するのは憚られた。それが仇となり、このような事態を招いてしまった。
「御内書はどの諸侯に送ったのだ」
「主だったところで山名、尼子、大内、土岐、織田、能登畠山、大和の国衆、そして朝倉にございまする」
「有力諸侯ばかり、か」
西国諸侯はこの御内書に乗ずる構えを見せているようだが、土岐は家督紛争と斎藤利政の増長で国外に兵を出せる状況ではなく、織田も尾張統一はまだ程遠い状況にある。能登畠山は御内書への呼応は即ち冨樫との敵対となるため、現状は静観の構えを見せていた。
しかし、問題は朝倉である。朝倉は親幕府派と親六角派が激しく対立し、家中の主張が紛糾する事態となっていた。
「動き出した時の流れは止められぬ。こうして身動きが取れぬとなれば、もはや六角を信じるしかなかろう」
義晴は呆れたように肩を落とすしかなかった。
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