田屋衆への感状

天文七年(一五三八年) 2月 伊賀国壬生野城


「北畠は櫛田川右岸での戦いで壊滅し、敵勢の多くは投降致し申した」

「そうか、北畠は滅びたか」

「はっ、星合中納言含め、最後まで付き従った重臣はすべて討死したとのこと」


 俺は霧山城主・田屋掃部介景貞の報告を聞き、天を仰ぎながら脱力する。星合親泰は手強い相手だった。親泰が居なければ、もっと早くに北畠は崩壊の憂き目を見ていたはずだ。だが北畠という高貴な血筋が邪魔をした。プライドの高い者が多く、北畠の家臣にすぎない親泰の意のままに操られるのに抵抗心を持っていた。


「綜讃殿がよくやってくれた。私が指揮したらもっと多くの犠牲を出していただろう」


 綜讃は南伊勢攻めを僅かな犠牲のみに抑え、伊勢国全域を手中に収めて見せた。寝返らせた木造が親子で諍いを起こし、二人とも死んだと聞いた時は肝を冷やしたわ。だが、そこを無理に鎮圧するのではなく、あえて静観して田屋衆に大河内城を背後から奇襲させるという策は見事だった。俺だったら迷わず攻め入って、たとえ勝てたとしても大きな損害を出していただろう。


 木造領を占領した北畠家臣も、星合親泰らの討死を聞いて城を明け渡した。領民にも村を荒らしたのは六角ではないと伝えて周り、虚報で張り巡らされた木造領の誤解を解きほどいた。木造領を含め一志郡全部を長野家に所領として与え、南伊勢の旧北畠家臣の監視役を命じた。


 ただし、長年長野と対立しあってきた北畠家臣にとって、長野に大きな顔をされるのは我慢ならないだろう。田丸具忠には南伊勢衆のまとめ役として期待している。家中でも穏健派だった田丸具忠には、長野、旧北畠家臣両者の和解への歩み寄りを進めてもらいたい。


 降伏した北畠家臣についても約束通り御家存続は安堵したが、所領の多くは召し上げた。親泰に従うことを嫌った、プライドの高い家臣が多いのが厄介だが、所領もごっそり召し上げたので謀叛を起こしたとしても大した脅威にはなり得ないと楽観視している。それが不満として膨れ上がった時、田丸具忠に宥めてもらいたいところだ。


 召し上げた旧北畠家臣らの所領は、六角家で勲功のあった者たちに与えている。大河内城は三井延高に与えた。延高も大きな戦功があった。北畠の重臣を何人も討ち取る武功だけでなく、田丸具忠を力づくでなく言葉で口説き落とす知恵者ぶりを随所に見せてくれた。延高には旧北畠領の監視と長野との調整役を期待している。


 それと北畠具教はまだ幼年とはいえ父の仇である六角に対して相当な怨みを抱えていたため、寺に預けて後々の禍根とする訳にも行かず、致し方なく処断した。


 また、今回の作戦に多大な貢献のあった川並衆には桑名郡を与えた。当初は地理的要衝である桑名の戦略的および経済的重要性を考え、信頼できる一門衆の坪内家に与えて、蜂須賀ら川並衆には相場以上の銭を渡すのみに留めるつもりだった。しかし綜讃の息子である坪内友定は図太くも俺が”川並衆“に桑名を任せると言っていると蜂須賀らを口説いたのだ。その結果、これまで斎藤や織田にも仕えなかった独立勢力の川並衆を味方に引き寄せることに成功し、綜讃、そしてその上にいる俺への忠義心を川並衆に植え付けた。俺の懸念は吹っ飛び、川並衆という強力な手駒が手に入った。坪内友定は俺が思っていたよりも、はるかに切れ者なのかもしれない。


「無論お主ら田屋衆もな。よくぞ五倍の敵を討ち果たしてくれた」

「もったいなきお言葉にございまする」


 掃部介の言葉はあくまで平坦で、本心として受け止めていない様子だった。


「お主らにとってはそれほど大した仕事ではなかったのやもしれぬ。だがその仕事は、六角に南伊勢という広大な所領と、失われるはずだった多くの敵味方の命を救った。お主らの働きがなければ、綜讃殿も強行せざるを得ず、木造の領民による頑強な抵抗によって双方に多大な犠牲が出ていただろう。それを防いだのはお主らの功績よ」


 俺は頭を下げる。冷静沈着な態度を貫いていた掃部介はここで初めて動揺を露わにする。


「左近衛権中将様、頭をお上げくだされ! 御身が我らに下げる頭などございませぬ!」


 掃部介は俺に駆け寄り、身体には触れないものの視線を彷徨わせている。


「ようやく人間らしい部分が見えたな」

「……お恥ずかしいところを」


 俺がフッと微笑むと、掃部介は微かに頬を紅潮させて距離をとった。


「掃部介だけでない。半蔵や長門守、清右衛門もだ。素破として申し分ない働きを見せておる。これは言葉だけでは到底足りぬ勲功よの。これはお主、そして河合衆に向けた感状だ。これからも忠勤に励んでもらいたい」


 俺は二枚の感状を手渡す。無論俺の手書きだ。習字なんて習ったことはなかったので、字が不恰好なのは勘弁してもらいたい。


「感無量にございまする。これを家宝とし、これからも粉骨砕身勤めて参りまする」


 掃部介の目に光るものが浮かんでいる。俺も貰い泣きしそうになった。六角だけでない、これからはその価値を誰もが認め、素破が敬われていくだろう。今回の殊勲は特にインパクトが大きかった。悪天候下でもつつがなく隠密行動をこなし、むしろそれを味方につけて敵を薙ぎ倒していき、敵本拠地を瞬く間に攻略した。当たり前のことではない。途轍もない戦果だ。


 こうして伊勢攻めは幕を閉じ、長かった冬がようやく終わる。今年も激動の一年になりそうだ。

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