朝倉の火種

 朝倉次郎左衛門景高が兄に明確な敵対心を抱いたのは、自分になんの相談もなく、冨樫靖十郎の一向一揆を討ち滅ぼす計画に独断で加担した時だった。それまでも兄に対する不平は抱えていたものの、努めて腹の内に隠していたのだ。表向きは穏便な関係にも見えた両者の関係は、ちょっとした出来事で崩壊するようなものだった。


 その上、一向一揆という越前でも猛威を振るっていた存在が挙って逃げ出しながら、孝景は他国への侵攻に弱腰な姿勢を貫いている。現状の周囲との関係性を精査した上での判断ではあったが、景高はそれが不満でならなかった。


 結果的に景高は冨樫との共闘における独断を糾弾するかのように、勝手に兵を挙げた。


 景高は大野郡から油坂峠を越えて美濃国郡上郡に出兵し、白山衆徒の助力を受けて長瀧寺に陣を取って篠脇城を攻める。しかし、郡上を領する東常慶は頑強に抵抗し、正攻法での攻略は予想以上に手間取った。


 そこで景高は、東一族の遠藤六郎左衛門盛数を調略し、寝返らせる。その結果、東方に動揺が見られるかと思いきや……。


 東は城攻めを敢行する朝倉方に余裕を示すかのように、戦闘が休止した夜間に和歌を振る舞ったのだ。東の歴代当主は多くが勅撰歌人として名を連ね、72首の歌が勅撰和歌集に入選するほどの名人であり、これには城を守る将兵に対して動揺の鎮静や鼓舞の意味以上のものはなかった。


 だが景高はそれを曲解し、余裕があるかのように錯覚する。そして怒りで視野が狭くなったところで、遠藤の軍団がやってきたのだ。


 朝倉の将兵の殆どは事前に通告されていたこともあり、これを援軍だと信じ込んだ。それは景高も同様で、何の疑いもなく背後を預けてしまったのである。


 油断した朝倉軍はその遠藤軍から急襲を受ける。虚を突かれたことで朝倉軍は一気に瓦解していく。自身の失策に保身の精神が覚醒した結果、即時に撤退の命を下したことで朝倉軍の被害はある程度食い止められたものの、景高にとっては取るに足らない弱小勢力であったはずの東方に一本取られたことには変わらず、屈辱に震えることとなった。


 遠藤は裏で東常慶と敵対していると見せかけて緊密に連携していたのである。景高は年内での郡上制圧を諦めざるをえなくなったが、敗戦から兵を退くのは恥だと感じ、長瀧寺に陣を敷いたまま冬を越そうとした。


 いくら越前の豪雪に耐えてきた朝倉兵とはいえ、敵地での越冬は過酷を極めた。将兵は徐々に憔悴し、冬を越えたとしても戦闘を継続するのは難しかった。


 それを見かねてか、兄の孝景は宗滴を派遣し、指揮官を代わるよう迫る。これも景高にとっては屈辱を突きつけられるものだった。


 孝景政権を根本から支えている朝倉宗滴という存在は景高がある意味孝景より敵視する存在である。なぜなら孝景政権は宗滴が居なくなれば立ち行かなくなり、崩壊すると信じていたからだ。その解釈は完全に間違っているとは言えないのだろう。宗滴の力は絶大だった。


『夜に援軍が到着するなど、おかしいとは思わなんだのか? お主はそれに違和感を抱かぬほど、視野が狭まっていたのだ。そもそも背中を見せても良いのは、信用に足る者であることが明白である時だけだ』


『遠藤は東の一族であり調略で確実に寝返る保証はなかった。しかし一大勢力が寝返って視野が狭くなったのか、それを信じ込んで監視すら怠った。一軍の将として愚か極まりない』


 あまつさえ宗滴は景高を愚かだと非難し、軽蔑の視線を送る。兄から大野郡司の解任を言い渡された事が耳に入らないほど、景高は怒りに震えた。そして言い放つのだ。『そこまで申すのならば、夏までに落としてみよ』と。


 宗滴は表情を一切変えず、それを軽々しく了承した。


 余裕を見せるように憔悴した兵を退くと、4月に再び出陣した宗滴は、景高があれほど苦戦した郡上の諸勢力を圧倒した。そして5月には郡上を完全に制圧し、夏までにと条件をつけた景高は赤っ恥を掻くことになる。夏どころか、暑くなる前に制圧してしまったのだ。


 敵が消耗していたこともあったが、宗滴の力量がいかに突出しているかを示すには十分な結果であった。


 そして何より特筆すべきなのは、宗滴が制圧した郡上の国人の反発が予想より大幅に少なかったことである。圧倒的な宗滴の戦力に畏れたのも無論あるだろうが、それ以上に宗滴の人望が秀でていたのだ。


 そして郡上衆は宗滴に対して直接臣下の礼を取った。この地を直接治めてほしいという要望である。


 宗滴は孝景に対して許可を求め、孝景もそれを了承した。孝景にとって何がなんでも側に置いておきたいのも本心だったが、一方で郡上を盤石に治めることができれば、美濃進出も現実味を帯びてくるのだ。


 外戚である朝倉家は、美濃の騒乱へ積極的に介入してきた。孝景は、現守護・土岐頼芸の兄であり、家督紛争の対抗馬となっている土岐頼武方を一貫して支援し、その影響で美濃守護の座は度々入れ替わっている。


 そして頼武の後継である甥の土岐頼純に加勢して戦乱は更に激化していた。


 しかし、宗滴が郡上に入った直後、朝倉とともに頼純に加担していた六角が、頼芸と和睦してしまう。六角は朝倉が郡上を獲ったことで、美濃における権益を高めることを警戒していたのだ。定頼は頼芸方につくことにより、美濃における均衡を狙ったのである。


 郡上から直接介入できれば、朝倉の影響力を美濃国内に遍くものにできるという目論見を抱いていた孝景も、これにはたじろいだ。


 このままだと六角と朝倉の代理戦争に発展する懸念があったからだ。


 朝倉とて、六角と敵対したいわけではない。冨樫と六角が靖十郎を介して親密な関係となっている以上、冨樫との関係にもヒビが入る恐れがある。それゆえに、下手にこれ以上美濃に入れ込むのは好ましくないと、孝景も判断せざるを得なかった。


 結果、朝倉は頼芸と頼純の和睦に舵を切る。


 これには景高も再び反発した。『郡上を制圧しただけで満足したのか。今こそ美濃を獲る好機のはず』と弱腰の姿勢を直接糾弾したものの、孝景は受け入れなかった。


 この一連の出来事をきっかけとして、孝景と景高の溝は顕在化する。兄と宗滴に対する敵意が色褪せることはなく、内紛の火種となって家中に燻り続けることになる。


 

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