法華一揆の増長
天文5年(1536年)4月 近江国観音寺城
「憎き下間備中守を討ち、一向一揆の主戦派を滅ぼしたそうだな。ようやってくれた」
「主戦派が壊滅したとなれば一向一揆も下手な軍事行動に出ることは難しいでしょうな」
「敵対することなく、一向一揆の力を削ぐことができたわけだ。本願寺も陰では悔しがっておることであろうな」
伊賀に帰還した俺は定例の評定に出席するために観音寺城へと向かった。そして定頼に開口一番そう褒め称えられると、宿老の面々からも惜しみない賛辞の声が挙がる。
「何ゆえ三好を助けたのだ。三好は憎き細川六郎の家臣ではないか」
時を止めるかのように、蟄居が解けた義賢の空気の読めない不服の声が耳に届く。明るい空気が一気に白けてしまった。謹慎していたはずなのに、何も変わっていないように思える。いや、唯一変わったことといえば喧嘩腰だった糾弾が影を薄くしたことだろうか。語気は以前ほど強いものではなかった。
「四郎殿。武将たる者は物事の大局を見定め、何を優先すべきか見誤ってはなりませぬ。一向一揆は六角家にとっても冨樫家にとっても宿敵であり、そして三好家にとっても仇敵です。その一向一揆を滅ぼす千載一遇の好機を前にして、利害が一致した者同士が手を組むのは当たり前のことです」
俺は諭すようにして冷静な言葉をかけた。六角家としては心情的に間違ったことではないが、状況を顧みない頑迷さは身を滅ぼしかねない。時には臨機応変さが重要になってくる。敗北必至だった三好家を救い、戦意旺盛な一向一揆の残党を討ち果たした。この武名は俺自身の評判に関わるだけでなく、近江の一向一揆が蜂起しづらくなったり、六角家に冨樫伊賀守ありという盤石な体勢が強調されることにもなった。定頼もご満悦の様子で、だからこそ開口一番に俺への賛辞の言葉を送ったのだろう。
「四郎、靖十郎殿の申すとおりだ。視野を大きく持ち、一時の感情だけで判断してはならぬぞ」
追従する様にして定頼が語りかける。怒気は全く帯びておらず、柔らかい声音である。
「……はい。承知いたしました」
口ではそう言いながらも微かに口を尖らせている。空気を読む能力に欠けているのか、余計なことを言うからこうなるんだ。だが、定頼から一度廃嫡という言葉を出されたからこそ、ごねることはやめたらしい。それだけでも立派な成長だろう。
「さて、一向一揆がようやく鎮圧されたわけだが、また厄介な問題が出た」
「法華宗と延暦寺ですな」
「うむ、揉め事を引き起こしたようだ」
京の町では応仁の乱を始めとする京の混乱を養分として、法華宗の信仰が京都の町衆の間で急激に拡大した。京は「題目の巷」と称され、かの有名な「南無妙法蓮華経」が浸透することとなる。そして過日の一向一揆との和睦によって自治を公然と認められるようになるほど、その力は強いものとなっていた。そして細川六郎を一向一揆の脅威から援けたのは我らだという自負から驕り高ぶり、大規模な地子銭不払い運動へと発展している。
地子税を納めない時点でもかなりの反発があったが、法華宗が好戦的な姿勢で一貫しているのは、信者以外からは施しを受けず、与えないという不受不施の宗旨を設けており、それが他の宗派との折り合いの悪さに繋がっていた。特に比叡山延暦寺とは険悪な関係であり、延暦寺は洛中にも所領を抱えていることから、度々戦乱を引き起こしている。
法華宗と延暦寺の間で宗論も行われた。宗論はディベートのようものだが、互いが互いの正当性を主張し合う武力を用いない戦争だ。これで法華宗の倍の歴史を持つ延暦寺の僧侶が法華宗の一般宗徒に論破され、延暦寺が敗れたとの噂は洛中に広まることとなる。延暦寺は言わずと知れた天台宗の総本山であり、そのメンツを公然と潰されたことによって両者の溝は埋まらないものとなった。大恥をかいたと感じた延暦寺は日蓮宗が「法華宗」と名乗るのを禁じるよう室町幕府に裁定を求めるも、幕府はこれを退けて法華宗の勝訴に終わっている。
これから受け取れる情報としては、幕府は法華宗寄りだということだ。もし法華宗を敗訴とすれば京を再び追放されるかもしれないという脅迫観念に駆られていたのかもしれないが、ここで延暦寺にもう少し有利な判決を下すこともできただろう。
幕府や朝廷を無視して京を占拠されているも同然な現状に、法華宗に対しては憤慨していると思っていた。わざわざ法華宗に有利な判決を下さずとも良いのではないかと思ったが、幕府は延暦寺のことも疎ましく思っている。延暦寺は仏教の権威でありながら腐敗し規律は大きく乱れており、洛中にも所領を持ち、強大な僧兵を抱えていた。
対立する双方を争わせて力を削ぐことにより弱体化させ、相対的に幕府の力を復興させることを目論むやり口は、これまで大大名同士を争わせてきたのと同じだと考えている。
この目論見どおり案の定両者の緊張は高まり、延暦寺は敵対宗派の東寺や摂津の石山本願寺、紀伊の根来寺、粉河寺、大和の東大寺・興福寺、近江の三井寺などといった名だたる大寺院に援兵を要請し、いずれも延暦寺への援軍は断ったが、中立を約束されたことにより、洛中は一触即発の空気となった。
「法華宗と延暦寺は戦になりましょう」
俺がそう冷静に告げると、定頼は大きく頷いた。ここまで緊張が高まれば、戦に発展するのは時間の問題だ。
「延暦寺には細川が付いた。私の危惧していた通り、法華宗が増長して細川との対立構造となったわけだ」
延暦寺は法華宗と険悪になりつつあった現状から細川六郎とも手を組み、臨戦態勢を整えている。細川六郎は四年前の山科本願寺を焼き討ちした際には法華宗の力を利用したが、今度は法華宗の力が大きくなったために延暦寺と組んだようだ。昨日の味方は今日の敵という言葉を体現するような節操の無さで、細川が懲りずに宗教勢力に味方したのを見て、六角家の主従は呆れ返っている様子だ。
「当家は此度もしばらくは静観すべきだと思いまする」
「冨樫家はかつて加賀の一向宗派の争いに関与したために、結局は一向一揆に国を奪われる羽目になるという事態を招き申した。山城守殿が申されるように、宗教の争いには介入しないのが得策にございまする」
進藤山城守貞治が進言すると、俺も御家の恥を例に挙げて不介入を支持した。他の宿老らも同意見のようで静かに二度首肯している。史実で延暦寺側についた六角だったが、定頼の判断によって比叡山延暦寺・細川連合に味方しないことが決定したことになる。法華宗が戦乱を引き起こすことは定頼にとっても予見していたことではあったが、ため息は尽きなかった。
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