三好利長との対面

「三好伊賀守利長と申しまする。此度の助力、誠にかたじけなく」


 先程まで敗走していたとは思えない冷静沈着な立ち振る舞いに、瞠目して凝視してしまった。これがかの有名な三好長慶か。まだ中学生程の歳だが、そうとは感じないほど大人びている。窮地を脱して心穏やかではない今、正常な応対はできないと思い込んでいたが、どこにでも例外は居るものだ。


 日本の副王と称えられ、畿内全域を治めた名将。三英傑の影に隠れているが、その能力は勝るとも劣らないと見ている。今は細川六郎の家臣となって動いているが、腹の内には細川への復讐心が煮えたぎっている。それを窺わせるのは深い洞察力を表すような力強い瞳だ。長慶は和睦の仲介を行うなど十三歳にして中央政界に関わる程早熟な男だが、だからといって年相応の部分を残していないはずもない。つけ入る隙は大いにある。心の奥底に隠している復讐心を如何して引き出すかな。


「冨樫伊賀守嗣延と申す。今は六角家の客将をしており申す」

「難攻不落の伊賀をひと月で平定したという冨樫殿にござるか。噂はかねがね聞き及んでおり申した」


 俺の名前に長慶は目を見開く。純粋に驚いた様子だ。俺の名前は知っているらしい。


「呼び名が同じ伊賀守となると紛らわしい故、孫次郎殿と呼んで良いかな?」

「構いませぬ。某の伊賀守は僭称でございますゆえ、私は伊賀守殿と呼ばせていただきます」

「いや、靖十郎でよい」

「では靖十郎殿と」


 長慶が顔を綻ばせると、俺はそこに年相応の色を垣間見る。それでもすぐに表情を引き締めると、同時に空気にも緊張感が帯びた。


「それで、此度の助力は何ゆえに? 六角は両細川の乱で敵の細川高国側に属していた。川勝寺口では細川の麾下にある当家とも直接刃を交え申した。その六角の客将である靖十郎殿の加勢には得心がいきませぬ」

「川勝寺口で戦われたのは貴殿の父君でござろう。ましてや某が六角家の客将となったのはつい昨年のことゆえ、貴殿には何の遺恨もあり申さぬ。一向一揆は冨樫家にとって加賀で散々苦しめられた宿敵ゆえ、一向一揆と戦う貴殿をお助けするのは至極当然のことにござる」


 方便ではあるが、長慶には一切遺恨を抱えていないので、打算だけではない本心からの言葉だった。


「確かに貴殿の申されるとおりですな。靖十郎殿の加勢がなければ父の仇も討てずに討死するところであり申した」


 史実では死ぬことはなく生き延びているのだが、窮地に立たされていた長慶にとって俺は命の恩人なのだろう。その言葉には感謝の心情が籠っている。


「それで、これから如何されるおつもりかな?」

「一旦堺に撤退して態勢を立て直し、今度こそ憎き一向一揆を打ち滅ぼす覚悟にござる」

「それもあるが、そうではない。今後の話にござる」

「今後?」

「このまま細川に味方して一生を終えるか、下剋上を期して細川六郎を討つか、如何かな?」


 部屋には俺と長慶の2人しかいないとはいえ、空気は見るからに張り詰めた。長慶はそれでも僅かに眉を動かしただけだった。やはり落ち着き様は群を抜いている。


「……どちらかを答えよと申されれば、無論前者にござる」


 不自然な間があった。長慶は父・元長を細川六郎の陰謀で領内を蹂躙した一向一揆によって自害に追い込まれており、一向一揆と細川六郎には並々ならぬ復讐心を抱いている。今の間はそれを表していた。


「そうであろうな。だがそれは貴殿の本心ではなかろう」


 図星だったのか、表情こそ変わらないものの視線を僅かに左上に動かした。長慶は自らの胸を明かされたように感じているはずだ。


「……何が言いたいのですかな?」

「目は口ほどに物を言うと申す。腹の内の感情を全く相手に見せず、欺き続けるのは至難の業。冷静そうに見えていても、貴殿のその復讐心は隠せておらぬ。一言一句に瞳が反応していたゆえな。尤も、私以外はまず気づかぬであろうが」


 表情から読み取っているなどハッタリだ。長慶は想像以上に無表情を保てている。長慶がどの様な人生を送ってきたのか知っているからこそ、このような冷めた物言いができたのだ。


「……」

「自分を偽るのはさぞ苦しいだろう。はっきり申そう。孫次郎殿は本心では父の仇である細川六郎を討ちたいと思っている。違うかな?」


 父・元長の敵討ちを、長慶が人生における至上命題にしているのは確固たる事実であると確信していた俺は、堂々と正面から告げて見せる。


「某は神仏でも相手しているのですかな? 率直に驚き申した。ただ某はそれに頷くことも首を振ることもできませぬ」

「今はそれで構わぬ。今はな」


 俺は柔和に微笑んだ。味方であるとは未だ確信に至っていない現状で、看破されたとしても認めるわけにはいかないからな。賢明な判断だろう。それに神託を受けたと自称している身で、神仏を相手しているという長慶の印象はあながち間違っていない。


「此度は下間備中守を打ち取り、筑前守も逐電しましたゆえ、反和平派の一向一揆勢は鎮圧することができ申した。これは全て靖十郎殿の功績にござる。ついては命の恩人に何か礼をしたく」

「いやいや、礼など結構にござる。私は一向一揆に幾度となく煮え湯を飲まされていたゆえ、此度は良い憂さ晴らしになった。それにこれは我らの“勝手働き”であり、礼には及ばぬ」


 元々俺はここで礼を求めず恩を売るつもりだったので、ふるふると首を振る。勝手働きという言葉を強調して礼は不要だと告げたものの、長慶は瞑目して煮え切らない態度であった。


「それでは当家の、いや某の面目が立ちませぬ。そうですな、冨樫家は商いで名を上げました故、何か高価な物をお譲りするのもいささか安易でしょう」


 タダより高いものはない。俺の思惑を察知し、ここで借りを作るのは適切ではないと感じたのか、長慶は長考する。


「そういえば先日配下の安宅水軍が明の密貿易船を捕らえましたゆえ、良ければ押収した船を積み荷ごとお譲りいたしましょう」

「ほう、明の密貿易船を丸ごとですか。どのような積み荷ですかな?」


 俺は中身が気になって好奇心半分で訊ねてみた。


「日ノ本で高価で売れる絹織物や生糸、銅銭、磁器、書物が主ですな。あと『てつはう』という武器も二丁ございましたが、ただ火薬も限られ、大して使い物にはなりますまい」


 てつはう、鉄砲か! 確か三好家の領内には安宅海賊がおり、密貿易を行う明の貿易船をよく摘発していると小耳に挟んだ。淡路島を拠点にし、海賊を主導する安宅家は三好家の重臣であり、押収品が献上されたのだろう。鉄砲の伝来は1543年だと思い込んでいたが、その時伝来されたものも明から持ち込まれた品のようだし、随分前から国内に流入していたのかもしれない。ただそれが定着せず、珍妙な武器として扱われたのだろうな。とはいえ鉄砲は大きな収穫だが、交渉事は足元を見られないように冷静に努めなければならない。ここは喜びを顔に出すことなく、さらに要求を上乗せするとしよう。


「なるほど。……では、船の船員は?」

「船員は何人か生かして捕らえて奴隷としておりまするが、必要ですかな?」

「操船を学ぶために数人譲ってもらえるとありがたいのだが。いずれは海に出て船で交易をしたいと思うておりますゆえ」

「なるほど承知しました。では船は堺に運びますゆえお受け取りくだされ」

「かたじけない」


 鉄砲という予想外の収穫があったのには正直驚いた。日ノ本で鉄砲という存在が殆ど知られていないこの時期に、先行して鉄砲を手に入れることが出来たというのは、非常に大きなアドバンテージだ。これを量産できるまで時間と費用がどれだけ掛かるか分からないが、とりあえず鍛治に見せて複製させるのが第一歩だろうな。


 それと明のジャンク船を手に入れたのも大きい。ジャンク船もコピーして何隻か建造するとしよう。伊賀衆に操船を覚えさせれば、将来の活用の場が大きく広がるだろう。


 冨樫軍はこの戦いの後すぐに兵を退き、伊賀へと帰還した。損害も軽傷者のみで討死はなく、一向一揆を完膚なきまでに叩きのめした武名は大きなものとなっていた。

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