六角家の評定

天文四年(1535年)2月 近江国観音寺城 


 六角家の家臣は領地へ常駐するのではなく、通常時をこの観音寺城で過ごしている。城割といってこの時代でも特異な体制だが、定頼の手腕によって上手くまとまっていた。これを問題なく引き継ぐことが、次代の当主には求められた。上手く引き継げず観音寺騒動を起こしてしまうのが、六角家における最大の誤算である。六角家は六角定頼という傑物があってこそ、この城割が問題なく運用されていたのだ。


 六角の執政を支えていたのは、六角六宿老と呼ばれる重臣である。一室にはその六人の面々に加え、定頼と嫡男である四郎義賢が座しており、そしてなんとも場違いにも思えるが自分の姿もあった。


 しかも上座にいる義賢の隣に席が用意されている。客将という立場に胡座をかいているように思えて落ち着かない。新参者であるとはいえ、六角家の親類という立場から当然の仕置であると、定頼の目は語っていた。だが嫡男の義賢は外様の身で俺がこの場にいるのが余程気に食わないのか、此方を睨みつけるように見つめている。


「集まったな。評定を始めるとしよう」


 定頼が静かに号令をかける。面々の表情が引き締まった。


「本願寺は相変わらずですな」

「うむ。坊主の本分を忘れて戦に没頭しておる。細川六郎も懲りぬものだ。法華一揆と手を組んだ。本願寺といい法華宗といい、坊主を味方に付けるとロクなことが起きぬ」


 細川六郎は増長する本願寺を弾圧するために、宗論で対立していた法華一揆を味方につけた。山科本願寺の戦いでは六角家もこの法華一揆に加担したが、これが近江の一向宗徒を逆撫でする形となり、領内で更に反乱が頻発したのだ。それ以後、定頼は宗教勢力と手を組むのを憚るようになったという。


「泥沼にございますな。法華一揆と手を組んだことで再び畿内は膠着状態にございます」


 進藤山城守貞治が眉を動かさずに粛々と告げる。『六角の両藤』として六角家中でも重んじられているこの男は、主に六角家の外交を担っており、畿内の事情にも詳しいようであった。


「本願寺を鎮圧したとて、次は法華一揆が増長するであろう。細川六郎はそれが分かっておらぬ」


 定頼の重苦しいため息が響く。法華一揆と細川六郎に味方すれば、本願寺は一気に劣勢に傾くだろう。だが宗教勢力の力を借りている以上、細川六郎は配慮を求められる。その配慮ができるのなら、本願寺もここまで増長していなかったかもしれない。それに定頼は将軍の密命で細川六郎に対立する筆頭として期待されている。俺という人間を迎え入れたことからも見て取れるように、細川に味方することに対して消極的な姿勢を貫いている。もしかしたら俺の存在が、定頼の反細川姿勢を後押ししたのかもしれない。

 

「本願寺についてはしばらくは静観が宜しいでしょうな。ただこれは好機でもありましょう。細川も本願寺も戦に明け暮れている」


 平井加賀守定武が生え揃った顎の髭に触れて冷静に論じる。


「そうなれば浅井との対立を収め、北近江を得たいところでしょうが、浅井は朝倉と盟を約しておりまするな」

「上様は朝倉と協力することを望まれていた。朝倉も背後の加賀一向一揆が消えた今、幕府には協力姿勢だ。ここで足並を乱すのは、逆に細川や本願寺に隙を見せることにもなりかねん」


 目賀田摂津守綱清がすかさず声をあげ、その懸念に対し気難しい顔を浮かべた定頼が返答する。六角と浅井は、下剋上で浅井が北近江の主権を得てから長きに渡って抗争を続けている。しかし昨年、足利義晴が京に帰還し、定頼は義晴から反細川派の筆頭として指名された。これによって朝倉も一時的な協力姿勢となり、六角、朝倉、冨樫が協力して細川六郎に相対することとなった。浅井を攻めるということは、その関係を崩すことと同義だ。朝倉は朝倉宗滴の武勇が国内外に響き渡り、六角家としても表立って敵対はしたくない相手だった。


 越前の隣国、若狭国の守護である武田には、定頼の娘が嫁いでおり、既に嫡男を授かっている。六角が浅井を攻めれば、朝倉が若狭を攻める。六角家主従の懸念は難しい問題となって行き詰まっていた。


 中でも最も攻めやすく、然程兵力を割かずに制圧できる土地は北伊勢となる。しかし北伊勢は北畠の影響が強く、表立って侵攻を行うことは慎重な判断が迫られるため、今回は一先ず見送りという形となった。


 結局この日に方針が決まることはなく、何の収穫もないまま議論は幕を下ろした。






「蒲生殿」

「冨樫殿か。私に何か用ですかな」

「いや、用という程ではないのですが、一度話したいと思いましてな」


 俺が声をかけたのは、六角六宿老の筆頭格である蒲生家の現当主・蒲生下野守定秀であった。評定ではあまり発言せず、寡黙な様子が目立っていたが、後藤但馬守秀勝や進藤山城守貞治など、俺に対して好意的な人物が多い中で、それとは少し色の違う目を向けていたのが、この定秀だった。


 定秀自身が宿老衆の中でもとりわけ若年ということもあり、ライバル視というか、負けてたまるかという視線に感じた。ただ義賢とは異なり、敵愾心のようなものは感じられない。


「冨樫殿の加賀での活躍は耳にしておりまする。一向一揆を叩きのめしたと聞いた時は胸のすく思いであった」

「光栄にござる。蒲生殿も浅井との戦いで多くの武功を挙げたとか」

「浅井との決着が付かず仕舞いなのが残念だ。ここから六角はどこへ向かうのか、冨樫殿はどうお考えだ?」

「六角は今や畿内の趨勢を左右する大大名。しかし畿内の情勢に振り回されすぎております。やがて次々と新たな強者が台頭し、また弱き者が淘汰されていく中で、六角家のこの停滞は周囲との差を埋めていくでしょうな。覇を唱えて六角家に敵対する勢力が出てくるやもしれませぬ」


 戦国時代においての革命勢力、織田信長は尾張や美濃を制したのち、六角を一瞬で甲賀へと追いやった。その未来を示唆するわけにもいかず、穏便な言葉に留める。


「六角は安泰ではないと?」

「この乱世、安泰な家などございませぬ。少しの油断が国を滅ぼしましょう」

「そうか」


 定秀の目が少し戦意を帯びたような気がした。そして定秀は考え込むように虚空を見つめる。

 

 蒲生家は定頼の治世下にあって、今でこそ抜きん出た力は保持していないものの、かつては祖父の蒲生貞秀が当時の六角家当主だった六角高頼の危機を救った恩から、客将待遇で迎えられていた。ただ定頼の才覚に加え、貞秀の長男である秀行と次男である高郷が家督紛争を引き起こし、これに勝った高郷が定頼の力を借りて秀行を屈服させたことから、往年の勢威を失っている。


 定秀が若いながらも多くの武功を挙げて盛り返してはいるものの、蒲生家が再び六角家の舵を取るほどの隆盛を見せるのは、史実においては定頼の死後となる。


 その最中に、俺という異分子が来た。稍姫が嫁ぎ、新たな客将として『入れ替えるように』置かれたのだ。自分を蔑ろにしているのではないか、と思ってもおかしくはない。ただ定秀は思慮深く賢いようで、俺を敵として見るのではなく、純粋な競争相手として目しているようだ。


 定秀も義賢の治世では再び隆盛を迎え六角家随一の権力者として名を挙げる知将である。六角家の婿という立場に胡座をかいていては、冨樫家の畿内における存在感も上がらない。定頼は領土を広げた暁には俺に領地を用意すると言っていたが、ただ六角家の方針に従っているだけでは一向に状況は好転しない。先程の評定では結局行き詰まって、他国への侵攻は見送られた。六角家中での存在感を高めるためには何か大きな功が必要だろう。如何すべきか……。

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