伊賀攻略に向けた一手

 功を成し名を遂げる最も有効な手段は、やはり自力で兵を動かし、武功をアピールすることだろう。だがいくら六角家の一門衆と位置付けられてはいても、所詮は客将なのだ。加賀に領地を持ち、危なくなれば逃げることだってできる。簡単に言えば責任が小さい。定頼がいくら俺を信用していても、俺に多くの兵を持たせる判断は下しにくいだろう。


となれば、単純な武力に頼らない、知識をフル動員した筋書きを描かなければならない。


 やはり土地が必要だ。現状、武力に頼らず土地という権力の地盤を錬成する必要がある。そうなると狙いはどこになるか。北近江は論外だ。六角家として戦うならまだしも、朝倉と協力関係にある冨樫家の人間がそれを先導する形になるのは好ましくない。


 北伊勢は北勢四十八家が領有しており、抜きん出た勢力がない。北勢四十八家の一つ、伊勢における八風街道を抑える要衝である梅戸には、六角高頼の子が養子として送り込まれており、拠点として機能しうる。一見攻めやすいように思えるが、北勢四十八家は外敵に対しては連合して当たる。各個撃破というわけにはいかないのだ。そのため、寡兵で攻めても勝ち目はない。甲賀衆の手を借りて離間工作を重ねれば勝ち目はあるかもしれないが、リスクは小さくない。


 やはりそう上手くはいかないか。甲賀から山を挟んだ南には伊賀があるが、伊賀は京から程近いにも関わらず、守護権力が及ばない未開の土地だ。史実の天正伊賀の乱でも伊賀の地形を利用しゲリラ戦を展開するなど、伊賀は天然の要塞として中央政治の影響を受けず独自の統治体制を維持している。武力で制圧するのは逆効果だろう。そう考えると、狙い目となるのはむしろここになるかもしれない。


 伊賀に正面から攻め込んでも勝ち目はない。その分、これまで大名家の手中に収まらなかったことを考えれば、伊賀を落とすことは六角にとっても将軍家にとっても大きなものになる。これ以上ない勲功のアピールになるだろう。六角家中で俺を快く思わない者達も、感情は抜きにして少なからず俺の才覚を認めるはずだ。しかし伊賀を落とすと口では簡単に言っても、それを成すのは至難の業であろう。兄上から学んだ、民を第一に考え、その辛苦に寄り添う姿勢。決して胸から逃すことなく、信念を貫いていくのだ。




 




「順蔵、加賀の現状はどうだ」

「はっ、万事問題なく進んでおりまする。靖十郎様が仰られた通り、越中との国境には破却した本願寺の廃材を用いた城郭が次々と普請され、兵農分離も進んでいることから兵の配備も迅速に行われておりまする」

「それは朗報だ。父上も反感なく受け入れられたと聞いた。さすがは年の功と言うべきかな」


 思わず頬を綻ばせると、寡黙な順蔵も眉を微かに動かした。


「ご懸念の越中ですが、今のところは目立った動きはありませぬ。畠山は動向を注視しているようではありますが、一向一揆も門徒同士の衝突が頻発しているようです。新川郡守護代の長尾も越後での内乱に手一杯で、越中に目を向ける余裕は無い様子にございます」


 能登畠山家は名君と呼ばれる畠山義総が健在だ。畠山宗家の要請を受けて越中守護を半ば兼任している形だが、義総自身も一向一揆の力を脅威に感じている。


 長尾は無碍光衆禁止令を敷き、徹底した反一向一揆の姿勢を取っているが、越後守護の上杉家との抗争や国人領主の反乱などで国外に兵を向ける余裕はない。それ故に畠山と共闘して一向一揆の混乱に乗じて二方向から攻めることが敵わなかった。畠山はかつて、越中一向一揆と組んだ当時の越中守護代の神保に対抗するため、長尾と共闘し勝利した過去がある。その時の苦戦が脳裏に焼き付いているのだろう。義総はかなり慎重に動向を注視しているようだ。


 一方で越中には加賀から大量に一向宗徒が流れ込んだわけだが、それによって問題も続出した。勝興寺と瑞泉寺によって舵取りが行われている越中だが、加賀の門徒を受け入れたことにより財政が悪化したとのことだ。当然食い扶持が増えたわけで、元々裕福でなかった越中は更に貧しくなった。それだけでなく、外から来た者を受け入れたことで、既存門徒の年貢の負担が増えた。その結果加賀の門徒と衝突が起きているようで、その収拾に手を焼いているらしい。


「そうか。油断は禁物だが、しばらくは加賀に攻め入ってくることはないな。兄上も領内の統治に専念できるであろう」


 鶴来の戦いの後、冨樫と朝倉は正式に同盟を締結した。これまでは冨樫が一方的に朝倉を頼る恰好であったが、加賀平定に伴いようやく健常な関係に戻る。そのため、冨樫は背後を気にせず越中に目を向けることができるようになったのだ。一先ずは加賀の円滑な統治を長く維持するため、兄上二人は奔走することになる。


「小次郎様が靖十郎様の行っていた政務を引き継いでおられます。今のところは順調かと思いまする」

「流石は小次郎兄上。全く心強いものだ」

「加賀介様も以前よりも精力的に動いており、次郎様や小次郎様に積極的に助言を行っております。まるで別人ですな」

「はは、そうか。息子としては嬉しいことだな。父上には長生きしてもらいたいものだ」

 

 前世では親孝行が十分にできなかったからな、と心の中で付け加えると、しんみりとした感情が胸を覆った。


「それはそうと順蔵。一つ聞きたいことがある」

「何なりと」

「私は今年中に単独で伊賀の掌握を目論んでおる。ゆえに伊賀の事情について聞きたい」

「伊賀はご存知の通り土着の地侍や素破が独自の統治体制を築いている国にございますれば、なかなか仔細な事情を知ることは難しく存じまする。ただ某が知る限りならば役立つやもしれませぬ」


 俺が『伊賀を掌握する』と迷いなく告げたことで、驚嘆のリアクションとはいかずとも、順蔵は何かしらの反応を示すと思っていたが、さも当然のように受け止めた様子であった。


「構わぬ」

「はっ。守護の仁木が国を追われた後、伊賀は上忍三家が力を持っております。甲賀に接する北部の湯舟郷を領有する藤林、北西部を領する千賀地、北畠に服属する南部の百地ですな」


 伊賀は仁木家が守護を務めていたものの、大和の東大寺や興福寺、伊勢の伊勢神宮、そして藤原摂関家が荘園制の支配を行っていたために守護職が定着せず、荘園ごとに土着する百姓などが独自の組織を形成していた。荘園制の支配下にありながらもその組織は圧力に抵抗し、やがて自分たちの生活を守るために特殊な技能を身につけるようになる。それが伊賀の忍術であった。


「ただ伊賀は貧しい土地であるが故に逼迫しており、千賀地は国を離れ将軍家に仕えているようにございます」

「千賀地……服部か。今は三河におるのか?」


 千賀地家はかの有名な素破の服部半蔵を輩出した家だ。伊賀の生活が苦しく一族郎党を養えず、国を出て将軍家を頼ったものの、凋落する幕府を見限って三河の松平を頼ったという経緯がある。


「三河? いえ、京にいるかと存じまする」


 松平清康は今年の年末の森山崩れで討死の憂き目を見るために、既に三河に居てもおかしくは無いと思ったが、まだ将軍家に仕えているらしい。唐突に名前が出た三河に順蔵は眉根を寄せている。史実でどの時期に三河に移ったかは知らないが、思わぬ朗報だ。


「そうか、ならば順蔵。お主に頼みがある。服部半蔵と接触し、仕官の勧誘をしてもらいたい」

「承知致しました」

「すまぬな。お主には労苦をかける」


 順蔵は志能便の棟梁であるが、人数が然程多いわけでは無い。北陸一円の情報を集め、俺に報告するだけで手一杯だろう。そうなれば常に手足として動かせる諜報員が手元に欲しい。服部半蔵の名は後世でも活躍が語り継がれているし、家臣となれば心強い味方となるはずだ。


「靖十郎様のお役に立てることは、我ら志能便にとっての幸福にございます。この程度のこと、造作もありませぬ」


 順蔵の口許が柔らかく歪んだように見えたのは気のせいだろうか。服部半蔵を調略できれば伊賀掌握が円滑に進むだろう。南部の百地は北畠の傘下にあるため除外するとして、あとは藤林家か。中々一筋縄では行かないだろうが、粘り強く動くしかない。

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