伊賀攻略
突然の上洛要請
南加賀の能美郡は冨樫家が有する土地となり、朝倉家に譲った江沼郡を除く全土が加賀守護の統治下に入ることとなった。一向一揆の残党も敗北を聞いて多くが離散し、周辺諸国へと逃亡した。
能美郡を得た事は冨樫にとって大きな財産となる。加賀の一部を朝倉に譲る際、能美郡を含めることを頑なに拒んだのは、能美郡に幾つもの鉱山が眠っているからだ。その最たるものとして挙げられるのが尾小屋鉱山であろう。歴史的に日本屈指の銅の発掘量を誇り、金や鉛なども産出する鉱山だ。
これを機に本格的に鉱山探索を始め、多くの山師を雇うと、すぐに成果が出た。尾小屋鉱山だけでなく探していた犀川上流の金や銀のある鉱山も見つかり、採掘が始まった。
冨樫にとっては貴重な財政源にはなるが、金、銀、銅はいずれ枯渇するものなので、無理な採掘は進めず採掘されたものについてはその多くを国庫に納めて流出しないようにしている。
鉱物が国庫に入れば、財政難に陥ってもそれで補填できるということになる。結果的に冨樫家が使えるお金が潤沢になったので、道などのインフラ整備や特産品の製造体制強化などを推し進められることとなった。
その一環で石黒孫左衛門正末が治める北東部の湯涌谷を経由して、横谷峠を越えて小矢部川を沿い、越中の南端へと通ずる道を開通させることにした。これは将来的に戦でいち早く鉄砲を導入するため、黒色火薬の原料となる塩硝の原料が豊富な五箇山を影響下に置くためだ。五箇山衆は冨樫政親が排斥した一揆衆が逃げ込んだ先でもある井波瑞泉寺の支配下にあるため、懐柔が非常に難航するかと思われた。しかし五箇山衆は、山間にあり貧しい暮らしを余儀なくされていたことから、一向一揆衆でありながらむしろ臣従を望んでいるようであった。
とはいえ瑞泉寺勢を下手に刺激したくはないため、秘密裏の約定と相なった。険しい山間を通じての交流のため、滅多に露呈しないと考えている。
また、鶴来の町に楽市令を布いて楽市楽座を推し進めることにした。楽市・楽座とは簡単に言えば自由な市場を作るために布いた振興令である。楽市は関所の廃止で自由な行き来を可能とし、関銭の負担を免除するなど、人の往来が更にしやすい土壌を整えたもの。楽座とは従来の座による特権的な商売の形を、座の撤廃で自由な状態に変えたものだ。楽市・楽座を実施した人間として織田信長はあまりにも有名だが、実際には六角定頼が始めたことが発端となる。それを先取る形で、自由な商売を許可したのだ。これによって加賀は更なる往来の増加を見込めるようになった。
それだけでなく、朝廷にまとまった資金を献金した。これには加賀守護として力があることを示す意味が大きい。朝廷の財政が窮乏していた故に、現在の帝である後奈良天皇は九年前の即位から即位式を挙げることができていない。これを援助して即位式を挙げさせることができれば、これ以上ない名のアピールになる。畿内で商売を行う冨樫家の御用商人も多大な恩恵を受けるだろう。
この資金を元手に、朝廷は八月には即位式を挙げることができた。朝廷からは拝謝の勅使まで来たのだが、後奈良天皇は次郎兄上に直接礼を言いたかったらしいが、殿上の間に昇るには殿上人として最低でも従五位下以上の官位を得なければならない。父から家督を継いでいないということもあり、加賀守護が代々名乗っている「加賀介」を未だ名乗っておらず無官の立場にある。また加賀介を名乗ったとしても従六位上に過ぎない。勅使は従五位下に任じても構わないとの後奈良天皇の思し召しだったそうだが、次郎兄上は謙遜しつつ長幼の序を外れることにもなると理由をつけて丁重に断った。
勅使には手土産として菊酒や石鹸の特産品を持たせて見送ったが、これが後奈良天皇の気を咎めたらしく、その勅使は叱責を受けるとともに、もし京に来た際には立ち寄って官位を受けて欲しいと勅書を授かっている。史実でも言われていた通り後奈良天皇が清廉潔白な人柄であるというのは噂通りらしい。
こうして畿内での名声も高まったわけだが、それによって思わぬ誤算が生じる。その発端は、九月下旬の昼下がりのことであった。
「上意である。一向一揆の掃討、ならびに幕府への貢献は見事である故、上洛して謁見すべし」
幕府の使者は突然やってきて謁見の間の上座に座ったと思うと、そんなことを宣って見せた。足利義晴は九月に入りようやく近江から京に帰還した。
どうやら朝廷に多額の献金を行ったことが幕府の耳に入り、俺は目をつけられてしまったらしい。一向一揆を討ち果たし、加賀一国を再び治め、朝廷に献金するほどの潤沢な資金を持っている。考えてみれば冨樫家は、依然立場の不安定な幕府が頼る手札に組み入れるには十分すぎる規模になってしまっていた。
「公方様からお褒めの言葉を頂き光栄に存じまする。しかしお言葉にはございますが、某は未だ一向一揆に荒らされた加賀をようやく平定したばかり。とても上洛する余裕などございませぬ」
次郎兄上は丁重に断った。上洛には危険も伴うし、加賀を空けるには地盤がまだ緩い。国を空けて越中一向一揆がこれ幸いに攻め入ってきたらなす術もないのだ。
「公方様は是非にと申しておる。次期当主の冨樫次郎殿と言葉を交わしたいと」
次郎兄上の方を見ると、額に険しい皺を重ねて思案していた。
「しかし」
「懸念は公方様も重々承知しておられる。しかし公方様には心を許せる味方が多くないのだ。公方様は貴殿を足利幕府の中枢に目しておられる」
幕府は現在細川六郎と六角定頼、そして足利将軍家が均衡する形で政権運営がなされている。それが不満なのだろう。細川六郎と和睦したとはいえ、細川のことを欠片も信用していない事は見なくても分かる。そこで幕府寄りの立場に強力な味方を欲した。表向きは加賀を守護としてよく治めていることへの称揚と、幕府への献上に対する返礼だが、実際はそんなところだと見ている。あくまで憶測に過ぎないがな。
「使者殿、一向一揆の掃討は某の功績ではありませぬ。そこに座す弟・靖十郎にございます」
「ほう? 弟とな」
使者の視線がこちらを向く。値踏みするような瞳に少し悪寒を感じた。
「戦の指揮は靖十郎が執り、見事打ち破ってみせた。それだけではなく、幕府への献金は全て靖十郎の着想が高じての賜物ゆえ、某がその功績を盗み取り、公方様にお褒めの言葉を預かるわけにはいきませぬ」
「あ、兄上。私は良いのです。兄上をお支えすることができれば本望にございますれば」
冨樫家が次郎兄上の下まとまれば、それで良いのだ。俺が下手に功を声高にアピールしても、それは内乱の火種になる恐れがある。
「ほほぅ。美しい兄弟愛にござるな」
関心しないでいただきたい。脳内で男色にすら発展させていそうな紅潮した使者の表情に、ため息を隠せなかった。
「……ではこう致しましょう。次期当主である某は赴くことはできませぬが、そこに座す弟の靖十郎ならばかまいませぬ。そして靖十郎の下した判断は全て、某の決断と同義と心得ていただきたい」
「うむ、それならば公方様もお喜びになるだろう」
二人は勝手に話をまとめてしまった。次郎兄上がこちらを見て頷く。有無を言わせぬ空気が出来上がってしまった。ここで断るのは不可能だ。
「……承知致しました」
まあこれから冬に入るので、加賀で戦が勃発する事はまずない。越中の一向一揆も動かないだろう。俺はため息をグッと堪え、上洛の要請を諾了した。
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