朝倉宗滴との対面

「宗滴殿、援軍感謝致しまする」


 次郎兄上が深々と頭を下げた。世界にはその姿を見ただけで敵に回してはいけないと直感する存在がいる。朝倉の守り神である朝倉宗滴から、それを全身で感じ取った。決して他者を威圧して上から押さえつけたり、強面が逆らえない空気を作っているわけではない。むしろ容姿は綺麗に整えられた髭に、柔和な雰囲気さえも感じさせるものだ。ただ圧倒的なまでの存在感、それが身体の隅々から漏れ出ている。


 史実で宗滴がいなくなった後の朝倉家が、坂道を転がり落ちるように凋落していくのも頷ける。十一代の朝倉義景は織田との敵対で度重なる敗戦を喫し、家臣の心望を失った結果一乗谷に追い詰められて滅亡の憂き目を見ることになるのだ。


「こちらこそ一向一揆を殲滅でき、幸甚にございまする。これで朝倉家も安泰というもの。次郎殿、これからも朝倉をよしなに頼みまする」

「無論にございます」

「それと此度の戦、靖十郎殿の策略は見事でした」


 事前に此度の戦で俺が冨樫家を率いていることを伝えていたため、宗滴は俺の功績だと褒め称えた。宗滴に褒められると、自然と頬が緩んでしまう。


「貴殿の力なくしては、これほどの戦果を挙げる事はできなかったでしょう。単独では一向一揆を殲滅できても多大な被害を被っておりました」

「宗滴殿のお力添えなければ、此度の戦がどのような展開になっていたか分かりませぬ。我らもこれで加賀の掌握ができるでしょう。これも宗滴殿の武勇あってこそ、感謝の言葉もございませぬ。約定通り、江沼郡はお譲り致します」

「はは、靖十郎殿は謙虚なようだ」


 宗滴の笑い声に、空気が弛緩した。俺も少し表情を崩して、張り詰めていた気持ちを僅かに緩めた。


「弱き者こそ頭を使わねばなりませぬ」

「ほう」


 宗滴殿は興味深そうに眉を顰める。


「一向一揆は弱き者が徒党を組み、国に不利益をもたらす存在にございました。弱き者も集まれば強くなるのです。強き者が頭を使えば、更に強さを増しましょう。しかし強き者も頭を使うのを怠れば簡単に負けるのです。此度は強き者が頭を使わず、弱き者が頭を使った。その結果が此度の勝利かと思っておりまする」


 実際は一向一揆が三万の軍勢を十分に統制しうるだけの指揮系統が整っていなかった故の結果だが、頭を使って策を練られれば、勝利は危うかったかもしれない。事前に朝倉の援軍を察知していれば、一向一揆も鶴来に全兵力を割かず一部を朝倉に向けていただろう。


「仰る通りだ。弱き者であるが故に謙虚にあらなければならない、そういうことですな」

「左様にございまする」

「若いというのに立派だ。儂が靖十郎殿と戦っても勝てるか怪しいものですな」

「ははは、ご冗談を」


 ここにいる全員が冗談だと思っただろう。空気が軽い。最初の緊張感が占めていた独特な空気は霧散していた。


「今後ともよしなに頼みますぞ。弾正左衛門尉様も良き隣人として目しておりまするゆえ」

「ありがたきお言葉にございます」

「それでは失礼致す。此度は損害も軽微であったゆえ、良い酒が飲めそうだ」


 そう言って、腰を上げる宗滴。口角は柔らかかった。


「お待ちくだされ。宗滴殿は菊酒は飲まれますかな?」

「もちろん飲みますぞ。とはいえ高価にございますれば、滅多に口には致しませぬが」

「ならば私個人から宗滴殿への礼として、菊酒を持っていってくだされ。宗滴殿に飲んでいただければ、酒も喜びましょう」

「これはかたじけない。では今度こそ、失礼致す」


 次郎兄上から菊酒を受け取ると、宗滴は更に口角を緩めて去っていった。やはり酒は好きなようだ。菊酒は良い土産になる。越前でも菊酒の名は轟いている。


 宗滴が健在な以上、朝倉家はこれからますます力を強めていくかもしれない。史実では加賀の一向一揆に苦しめられた。それを掃討した以上、更に外に割ける戦力が増えるのだ。


 加賀も一向一揆の残党を始末したり南部の掌握も大変だが、ここからは外に目を向けることになるだろう。朝倉とは協調路線を模索すべきかもしれない。今日の会談でそう思わされた。








「面白い男じゃの」

「左様にございましたな」


 朝倉宗滴は越前への帰路に着くと、そう言って口元を緩ませた。側近の萩原五郎四郎時教は宗滴の満足げな表情に少し意外そうに目を見開いた。


「地形を、敵の弱点を利用し、見事に勝利を手繰り寄せて見せた。兄である次郎殿も平凡ながら自らの弱さを認め、家臣に慕われておる。あれは敵にすると厄介だ。何より気になったのは、靖十郎殿が僅か一年で加賀半国を治めていながら自らを『弱き者』と言ったことだ。これがどれほど異端か分かるか?」

「自らの成果を自慢しない謙虚な男だということですか?」


 時教は会談で宗滴が直接『謙虚な男』と評価したのを思い出し、咄嗟に答える。


「それもある。だがそれよりも驚いたのが考え方だ。血筋が良い者はどうにかして自らを誇示しようとするものだ。決して自分を弱き者などと言ったりはせぬ。沽券に関わるからの」


 宗滴は加賀半国を一瞬にして手中に引き戻した男を高く評価していた。挙げた成果も勿論だが、宗滴はその考え方に感銘を受けたのだ。身分の高い人間は人を見下し、自分を大きく見せようと躍起になる。宗滴の若い頃もそうだった。しかしいつのまにか権力への執着は消え失せ、当初狙っていた朝倉家の家督への興味も失った。靖十郎にはそんな虚栄心が一切見られなかった。それだけでなく、自分を弱き者と謙って見せたのだ。重臣に素破を置いている様子もあった。奇特な人間だと、宗滴は感じた。そして同時に旧き身分や権力に囚われぬ男こそ、新たな世を切り拓いていくのだろうとも思った。


「それにあの男、底知れぬ何かを感じる。この世を見通しているかのような気味の悪さすらな」

「宗滴様ともあろうお方がそのように評価されるなど、只者ではございませぬな」

「今戦をしたらまず負けぬだろう。まだ若い。若さゆえの実直さと甘さが些か邪魔しているようだ。だが五年後、十年後は分からぬ。儂が健在のうちは負けぬ戦ならできるであろうが、儂が亡き後はもし敵対すれば朝倉家は飲み込まれるであろう」


 宗滴は鱗雲が散乱する青々しい空を遠い目で見つめる。


「いずれにせよ今日は良い一日であった。儂が苦しめられた加賀の一向一揆を滅ぼしたのだからな。これほど痛快な事はない」

「我らもこれで加賀一向一揆に邪魔される事なく動けると言う事ですな」


 時教は少し感激した様子で瞑目した。


「次郎殿が菊酒を持たせてくれたからの。今夜は宴じゃ。夜明けまで飲み明かそうぞ」

「ええ、飲み明かしましょうぞ」


 宗滴は大好物である清酒が好きなだけ飲める事に目を細める。朝倉軍の主従は酒宴に胸を膨らませているからか、馬脚も歩兵の足も心なしか速くなっているようだった。

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