上洛① 将軍との対面

 十月、冨樫軍は五百の兵を以って上洛の途へ就いた。将軍の上洛要請で手出しを禁ずる先触れもあったため、道中に危険はほぼなかった。


 上洛の軍は槻橋伯耆守、沓澤玄蕃助、安吉源左衛門、本折筑前守、末松信濃守が脇を固める形で、俺を守るように進軍した。


 折角京に赴くのだ。上洛の軍を編成し、往復するのも安くはない。しばらく日ノ本の中心を見て、見聞を広めようと思った。道中の金津城で久しぶりに再会した父も壮健の様子で安心した。むしろ以前よりも若返っている様子で、加賀に戻ってもいいのではと進言したが、踏ん切りが付かないらしい。


 京に入ると、やはり応仁の乱から続く長い戦乱の爪痕は想像した以上に酷く、暗い表情の人々の好奇な視線が四方八方から降り注いだ。規模こそ然程大きくはないが、冨樫の品物が頻繁に入ってくることや、三万の一向一揆勢を寡兵の冨樫軍単独で倒した(ことになっている)ことが巷では噂となっていた。


 かつての将軍が住んでいた花の御所は焼失し、次代の義輝や義昭の住んでいた二条御所はまだ築城前。義晴が建てた慈照寺の裏山にあった東山御所もまだ築城されておらず、足利義晴が現在住んでいるのは仮の御所で将軍が住むとは思えない質素な有様となっていた。


 謁見の間と言えるほど大層なものはなく、通された部屋は足利義晴の居室であった。乱世に振り回され、立場の不安定な将軍とはいえ、れっきとした足利将軍家の棟梁である。少し身が引き締まる感覚を覚えた。


「面を上げよ。直答を許す」


 襖を開けて頭を下げたまま部屋に入ると、程なくして想像したよりも少し高い声が耳を打つ。


「はっ。加賀守護・冨樫加賀介が三男、冨樫靖十郎嗣延と申しまする。御尊顔の拝謁が叶い、恐悦至極の極みにございます。上洛の命に従い、参上致しました」


 顔を上げると、義晴は微かに緊張している様子であった。二十四歳とまだ若い。


「うむ、遠く加賀より足労であった。突然呼び立ててすまぬ」


 声色からは後ろめたさのようなものが窺える。京から追放され、近江で臨時の幕府を六角家の後ろ盾に寄りかかって政権を運営せざるを得なかった。そんな『無力な将軍』であることを自覚しているように感じる。義晴は生母の身分が低く、そういった意味でも後ろ盾が少なかった。威厳があまり感じられない平凡な将軍に見える。


「滅相もございませぬ。お呼びとあらばいつでも参じる所存にございます」

「そなたのような忠臣を持ち、余は果報者よの」


 感慨深そうに視線を天井に向けた。涙脆いのか、瞳が少し潤んでいる。少しの間を経た後、義晴は続ける。


「話には聞いておるぞ。お主が一向一揆の大軍を打ち破り、加賀に平穏をもたらしたと。青天の霹靂とも言える偉業だ」

「過分なお褒めに預かり光栄に存じまする。しかしこれも兄上二人や父上、家臣らの助けがなくては到底成し遂げられぬことでございました。決して私一人の力ではございませぬ」

「ほう、これほどの偉業を携えながら驕り高ぶらぬとはな。民に慕われるのも納得がいく」


 謀略渦巻く畿内では自分を大きく誇示しようと躍起になる者が多いのは容易に想像できる。


「恐悦に存じます」

「お主のような男が幕府には必要である。余はそう痛感した。十郎、弾正少弼を呼んでまいれ」

「はっ」


 突然視線が俺の背後に向いたと思うと、幕府の重臣で義晴の内談衆である大舘尚氏を呼ぶ声が響いた。そして少し気まずい数分間ののち、襖が静かに開く音が背後から聞こえた。


「上様、六角弾正少弼定頼、参上致しました」

「うむ、よくぞ参った」


 俺はその名前を聞いて心臓が跳ねるような感覚を覚えた。六角定頼といえば、畿内の趨勢を左右するまでに六角家を飛躍させた英傑。将軍と対面する時よりも数段強い緊張が帯びる。


「六角弾正少弼定頼だ。余が信頼する数少ない男でもある」

「冨樫殿であるな? お初にお目にかかる。六角弾正少弼だ。貴殿の活躍は小耳に挟んでおる」

「弾正少弼様にございましたか! よもやお目にかかる機会があるとは思うておりませなんだ」


 声が震えていないだろうか。一回り歳を召した定頼は、冷静沈着に佇んでいる。


「私も驚いた。いつか会う機会は巡ってくるだろうと思うておったが、これほど早く上洛するとは思うておらなんだ故な。朝倉と協力して大軍の一向一揆を討ち破ったと聞いた。私も痛快であったわ」

「強敵にございましたが、加賀を取り戻すため、一世一代の決戦に挑み申した。一向一揆の指揮官不在の状況が大きかったですな」


 定頼も近江で伸長する一向宗に度々頭を悩まされており、一貫して一向宗と対立する姿勢を見せている。ここ数年で勢力を急拡大させていた領国の一向一揆を壊滅させ、追い払った俺のことを褒め称えた。


「ふっ、謙虚な男であるな。一つ聞きたかったのだが、楽市楽座令というたな。あれは貴殿が思い付いたのか?」

「左様にございます。商いは冨樫家にとって最も重要であります故、自由な商いを領内で推し進め、さらなる人の往来を促そうと考えましてございまする」


 楽市楽座は史実において、この六角定頼が今から十五年近く先になって行うものだ。六角は元々、紙商人として有名な枝村の商人に対し近江・美濃における紙の独占販売の特権を与えていたが、そんな中で定頼は『石寺新市』と呼ばれる紙の商売を行う市を安土山の麓に設けた。これにより、楽市として枝村の商人以外も自由に商売を行えるようになる。この時代の定頼は、このように革新的な政策も多く行っていた。


 既に構想の中にはあったのか、興味津々といった様子であった。まさか目の前の貴方がやったことを真似しました、などと言えるはずもない。若干の良心の呵責で胸の痛みを覚えながらも、平然と嘘を吐いた。


「冨樫殿とは気が合いそうだ。私も先々に領内の商いを活性化させようと思うていたのだがな、先を越されてしもうたようだ」


 定頼は気を害した様子もなく、愉快そうに笑う。すこし申し訳ない気持ちに駆られた。


 確かに定頼とは共通する立場が多くある。一国の守護大名という家の立場、反一向一揆という姿勢、商業に対する積極性、それとこれはそうならざるを得なかったからだが、親義晴派という立場もそうだろう。こうして話していても、一切嫌味を感じず、最初の緊張感はすでに彼方へ消え去っていた。

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