靖十郎の説得
「靖十郎様、我らを集めて何の御用でございますかな?」
源次郎がやや糾弾する様な色の籠った声で眉根を寄せた。気まずい空気が漂っている。最近は特にだが、家中では両者の対立に表立って触れることは禁忌とされる風潮があった。両陣営の代表格十名ずつを集めたこの席が朗らかになるはずもない。用意された茶菓子に手をつけるものすら一人もいなかった。
「わからぬか?」
「……」
威徳をまとって有無を言わせぬ姿勢を貫いた靖十郎を見て、源次郎は脂汗を浮かべて歯噛みする。
「俺は立腹しておる。折角一つになった冨樫家を再び破滅へと導こうとしている」
「いえ、そのようなことは!」
源次郎が膝立ちになって狼狽する様子に、靖十郎は薄く笑った。
「などとは思ってはおらぬが、このままでは家中の結束に亀裂をもたらしかねん。それは分かってくれるな?」
「申し訳ございませぬ」
範嵩が肩を落とす。負い目を感じてか、集められた全員が伏し目がちだった。
「お主らが争う気持ちも分かる。源次郎、お主は誰よりも冨樫家に忠誠を誓ってきた。それゆえに加賀を奪還し、勢威を往年のものに戻さんとする最中で、それにあやかろうと頭を垂れた者が許せぬのも道理だろう。しかしそれでは誰も冨樫に忠誠を誓えなくなってしまう。違うか?」
「いえ、仰る通りにございます」
新参者に厳しいという悪評が広まれば、他勢力が臣従し辛い土壌となってしまい、武力で制圧する必要が出てくる。そうすれば必然的に犠牲が増え、多大な物資と時間も要することになるのだ。それはなんとしても阻止しなければならないと靖十郎は考えていた。
「源次郎。お主の忠誠は私が知っている。山川が冨樫に尽くしてきた過去は色褪せぬのだ。ましてや消えることなど決してない。本折の確執は一朝一夕で拭えるものでは無いだろう。しかし山川も本折も主君を支えるべく戦ったのだ。そしてこのままの関係を続ければ、その過去を繰り返すことにもなりかねん。許せとは言わぬ。過ちを自覚し、改めるのだ」
「過ちを自覚し、改める……」
「先祖の起こした過ちを今でも引き摺って同じ結末を辿るなど、格好悪いだろう? その過去も、今の確執も消えぬのだ。改めて、新たに土台を組み立てていくしかない」
源次郎は言葉を咀嚼するように数度頷き、瞑目した。
「筑前守、お主の祖先が冨樫にどれほどの忠誠を捧げてきたか私は知っている。そしてやむを得ずして一向一揆に降ったこともな。そしてお主の忠誠を疑ったことも一度もないのだ」
「靖十郎様……」
範嵩は瞳孔を開き、感激に天を仰ぐ。
「だがな、だからといって派閥を築いて山川に対抗しようというのは悪手だ。お主は胸臆に抱えた“一度裏切った”という負い目から、新参衆をまとめ上げることで後ろめたさを武装して隠し、自身の力を誇示しようとしたのだろう?」
「御慧眼にございまする。仰る通り、某の未熟さゆえ、愚かな対立を生み出してしまい申した。申し訳ございませぬ」
「無理に和解せよとは申さぬ。それでもお主らは未来の冨樫を導く旗手である。源次郎、筑前守。その自覚を持ち、来たる脅威に協力して立ち向うのだ。よいな」
「「はっ」」
源次郎と範嵩は目を見合わせると、力強い瞳を携えて頷く。射し込む夕陽が両者の間を照らす。冷え切っていた関係の行く先が正常な方向へと修正されたように感じ、靖十郎は心から安堵した。ただ、今すぐ手を携えてというわけにはいかないだろう。長期的な目で両者の関係改善を見届けることとしよう。
秋になり、米の収穫が終わった。正条植えや塩水選を試行したのは一部だったが、その生育の良さは一目瞭然で、やっていなかった田と比べて稲穂のなり具合や高さに歴然な差が出たのだ。
「塩水で沈んだ種籾だけを選別し、等間隔に植えるだけでこれほどの差が出るとは、信じられませぬな」
末松家為が感心した様子で手元にある二つの稲を見比べて言う。
「そうだ。これを知った者は皆来年から喜んで行うはずだ。今年は例年通りの収穫のようだが、来年からは領内全域で広まるはずだから、収穫量は格段に増えるだろうな」
「正条植えと塩水選を行った田は他と比べて三割の増加とのこと。まさに画期的な手法ですな。お見それいたしました」
畏怖の念をひしひしと感じるが、俺は知っていた情報をそのまま実行したに過ぎない。微妙な気持ちではあるが、これが領内の発展に繋がっているのならばとても良いことだ。
「これらが領内全域に広まった暁には、現在の『六公四民』から『四公六民』に変えようと思っている」
「折角増えた年貢を回収した方が当家にとってはよろしいのではございませぬか?」
「確かに現状維持ならば年貢の量は増える故当家は得するだろう。しかし別に食糧に困っているわけではないのだ。ならば他領よりも税率が低いことを示した方が良い。兄上も民の暮らしが改善されるのを望んでおられる」
他領よりも年貢が軽ければ、それを魅力的に捉える者も多いだろう。ましてや裕福になりつつある冨樫領だ。足枷となるのはもはや一向宗だけだろうな。
「成程。税が低ければ一向一揆に与していた百姓も当家に身を寄せるかもしれませぬな」
「そうだ。ただ現時点で冨樫に臣従していないということは、それだけ一向一揆に染まっているということだ。どのようにして危害を加えてくるか分からない。その場合は一向宗から完全に足を洗うよう指示すべきだろうな。それを断るのなら、もはや一向一揆に魂を売っているのと同義だ」
「緩い戒律ならば曹洞宗冨樫派、白山神社も再興されましたからな。一向宗に固執する者を受け入れる方が確かに危ないでしょうな」
一向一揆はその数と行動力で様々な勢力を打破してきた。冨樫領が豊かになる様子を見てもなお一向宗への信仰から他領に逃げたというのに、戻ってくる者を無条件で受け入れるなど虫のいい話だ。この点は徹底すべきだろうな。破った時の法度も定めておくこととしよう。
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