内紛の火種

 怒涛の改革を推し進める冨樫家であったが、一枚岩では決してなかった。無論、一向一揆という脅威を国から追い出すという方針にこそ賛意を示し、同じ方向を向いているのは確かである。しかし実情は大きく二つの派閥に分かれていた。


 山川派と本折派である。山川派は山川源次郎秀稙、本折派は本折筑前守範嵩がそれぞれの派閥を築いていた。その属性としては、山川が主に長享の一揆後も鞍替えすることなく付き従った者たち、本折派は冨樫家の加賀帰還から改革に際して帰参した者たちであった。


 前者は一度も一向一揆に寝返ることのなかった忠義の臣であり、後者は宿敵・一向一揆の庇護下にあったことで、当初から溝が深かった。しかし一向一揆に与したことは彼らにとっての本望ではなく、かつての長享の一揆で敗れた後、生き残った者が一向宗に入信する事を迫られたからである。その対価として所領を安堵された。御家を守るため、忠誠心をかなぐり捨てて血涙を流しながら鞍替えするしかなかったのだろう。そう考えると、本折派の者を責めることはできない。そもそも冨樫家が内乱を何度も引き起こし、力を失ったことが原因なのだ。


 両者の筆頭である山川と本折は特に険悪な関係であった。その原因は、二者が元々敵対関係の守護代同士であったことだ。


 かつて、兄弟である教家と泰高は家督の座を争って対立していた。本折家は教家とその跡を継いだ成春の守護代として、山川家は泰高の守護代として忠勤に励んできた。両者の対立は泥沼と化す。


 その対立は、教家が将軍・足利義教の怒りを買い、守護を解任されたことに端を発する。この直後に義教が暗殺されたことで、管領・細川持之は人心の安定の為に義教に追放された者を復権させる方向に舵を取った。だがこれに加賀は該当しなかった。


 そのことに不満を抱いた教家が、泰高と守護の座を巡って争ったのだ。この対立で実際に戦を行ったのがそれぞれの守護代である。


 当初は山川が戦況を優位に運んだ。守護の座を簒奪された教家が、加賀奪還を目論んで兵を差し向けた。その大将が範嵩の祖父・但馬入道である。両者は何度も激しくぶつかりあった。加賀の支配権をめぐり、ある時は本折が勝ち、ある時は山川が勝つ。三戦戦い山川が二度勝ったという。山川は本折の攻勢を辛くも防ぎ、領国を守り抜いた。


 しかし泰高の後ろ盾となっていた管領の細川持之が没し、教家を支援する畠山持国に変わったことで、途端に泰高は加賀守護を解任される。在地勢力が泰高陣営を一貫して支持しているにも関わらず、泰高は公然と加賀を治める権限を剥奪されたのだ。


 教家勢は泰高の実効支配によりまとまっていた加賀を無理やり突き崩し、武威で支配しようとした。この戦いも泥沼と化した。細川勝元の死によって相対的に不利に立たされた山川は、本折の攻勢に終始圧される。そして但馬入道は奮戦し、念願の加賀奪還を成し遂げた。しかしその際に、山川は多くの一族を失っている。憎悪が積もるのも当然というものだった。


 教家が後見した息子・成春の代では、再び管領が細川方に代わり、泰高が守護に復帰したことで成春は守護の地位を剥奪されている。それでもなお、教家陣営は加賀に留まり続けていた。しかし加賀において教家に味方する勢力はほとんど皆無だったこともあり、やがて統治は立ち行かなくなって一揆や反乱が多発していく。


 かくして教家陣営はついに“幕府の反逆者”の烙印を押されることになる。細川から追討命令を出され、本折はその守護代として頑強に抵抗した。それゆえに時流を見極めず冨樫を凋落に導いた原因として、山川は本折を目の敵にしているのだ。


 どちらも忠誠のために戦ったのは間違いない。元はと言えば教家が泰高への家督相続を拒否して加賀に内乱を引き起こしたのが問題なのだ。結果、加賀は細川と畠山という三管領の代理戦争の場になった。


 結局両陣営が譲歩する形で南北に分かれて半国守護が設けられ、南半国守護に泰高が、北半国守護に成春が就任することで決着がついたわけだが……。その後細川によって赤松に北半国守護の座を強制的に移譲されてしまい、成春は再び追放された。しかし内乱の再発を防ぐために、泰高が成春の子である政親を養子とすることで、加賀は再統一を迎える。


 しかしやはりと言うべきか、これに成春陣営は不満を持った。結局成春の次男・幸千代が擁立され、再び内乱へと突入した。二度目の兄弟による内乱は政親が本願寺門徒に力を借りることで鎮まる。


 代償として本願寺門徒は存在感を増した。本願寺中興の祖と称される蓮如は、味方することで加賀守護による信仰の保護を期待していたのだが、その意図に反して政親は傲慢とも言える行動に出てしまう。政親はそれを疎んじるようになり、北部の門徒をまとめて弾圧、根切りにするという凶行に出た。


 本願寺は当然ながらこれに激怒した。そして生まれたのが加賀一向一揆というわけである。家督紛争が発端となって、戦国時代の名だたる武将たちが苦戦する加賀一向一揆が誕生したと考えると、冨樫家は歴史に大きな影響を与えた守護大名ということになるのだろう。専ら悪い方向にではあるが。


 この加賀一向一揆はみるみるうちに増大し、政親は長享二年(1488年)に自害に追い込まれる。そして隠居していた泰高を再び当主に戻す形で一向一揆の傀儡となり、冨樫家は守護としての権力を完全に失うこととなったのである。


 その発端を作ったとして、源次郎は範嵩を異様なほど敵視していた。そして「冨樫家が順調に北部を掌握しているのを見るや否や、臆面もなく帰参した」と指を差して蔑んでいる。両者の溝はもはや埋めるのが難しい境地にすら達していた。


 一向一揆との対決を控えている今、この関係性を放置しておくのはあまりに危ないと思った。泰俊も何度か両者の仲立ちを試みたが、全く意味をなさなかったという。


「困ったものよな」

「事情が事情、仕方ありませぬ。しかしどうにかして解決したいものですな」

「内乱が起きないという保証もない。火種は潰すべきだろう」

「如何なされるので?」

「言葉で説くしかない」


 溢したため息が虚しくも虚空に消え去るばかりだった。

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