所信表明

 次郎兄上との誓いの後、館に家臣が集められた。到着早々の呼びかけに、困惑の面持ちを浮かべている。近在の諸勢力にも声を掛けたが、集まったのはごく僅かに過ぎなかった。石川郡に居を構える国人領主の多くは本願寺の勢威に慄いているせいか、呼びかけに靡かなかったのだ。これが今の冨樫家の限界であると憂色を示す家臣らの様子が視界の隅に映る。


 主だった者として、山川源次郎秀稙、槻橋伯耆守氏泰、額八郎次郎景家、英田次郎四郎昌継の家老に加え、重臣の沓澤玄蕃助恒長、本郷修理進親貞、粟田五兵衛吉員、末松信濃守靱嘉といった家臣が軒を連ねていた。


「皆集まったな」

「はっ、これで全てにございまする」


 次郎兄上の言葉に源次郎が返答する。それに対し、次郎兄上が鷹揚に頷いた。


「早速だが源次郎。今の加賀をどう思う。世辞を抜きにして正直に答えよ」

「はっ、治世は荒れ果て、民は苦しんでおります。そして多くが一向宗に身を委ね、意のままに操られておりまする」

「そうだ。そしてこの現状を打開せねばならぬのは誰だ?」

「……それは」

「構わぬ。その心の内、申すが良い」

「加賀介様、そして次郎様にございまする」


 空気が冷たくなるのを感じる。このような事を面と向かって発言することがいかに礼を失していることなのか、皆が察しているからだ。山川秀稙も忌憚なく話すよう促されたとはいえ、居心地の悪さに唇を酷薄に歪めている。


「そう、本来ならば加賀守護である父上、そしてそれを継ぐ私が対処せねばならぬものだ。だがお主らも存じているとおり、今の加賀守護には力など無い」


 次郎兄上は瞑目してそれきり黙り込んだ。俄かに謁見の間が騒めき立つ。そこに切り込むように、俺は神妙な面持ちで開口した。


「しかし案ずることはない。冨樫家の立て直し、この私が受け持とう」


 いきなり突拍子もないことを言い出したと思ったのか、困惑して家臣らは一様に顔を見合わせる。


「靖十郎様?」


 その言葉に目を細めて、いち早く声を上げたのは槻橋氏泰であった。元々俺の傅役として、教育を任されていた。槻橋家は元々加賀の北半国守護代も務めた家柄で、先代は最期となった長亨の一揆の高尾城の戦いまで冨樫政親に味方した。一族八人が討死し、残ったのは当時は幼かった氏泰のみ。


 しかしその比類なき忠誠心が認められ、冨樫家でも山川家と並んで大きな信頼を寄せられるようになった忠義の塊だ。氏泰という名前には、父の泰という偏諱が入っている。これは父がどれほど信頼していたかを表す証左であろう。


 泰然自若な氏泰が思わず声を上げてしまうほど、俺の台詞は突拍子のないものであった、


「皆も感じていたことだろう。私はいつからか、突然人が変わったように動き出した。それがなぜなのか疑問には思わなかったか?」

「思わなかった、と答えれば嘘になりましょう」


 逡巡する者が周囲を伺う中で、額八郎次郎景家淡々とした口調で回答する。


「そうであろう。私はある日、御神託を授かったのだ。下間を始めとする本願寺の者は三年の間この加賀の地を空けるとのお告げを、だ。その間に加賀守護として国を鎮め治めよとの事であった」

「なんと!」


 俺の言葉に、家臣らの表情は驚きの色に染まった。俺の変化をその目にしてきていたことで、説得力を感じ取っていたようである。疑念というものは一抹も含まれておらず、総じて羨望と崇拝の眼差しを帯びていた。


「しかし、三年後、畿内の混乱が収まった後には、坊主共はやはり帰ってくるのですな」


 一同は一転して静まり返った。俺はそれを諭すよう、冷静に言葉を紡ぐ。


「うむ。三年後に本願寺の坊主どもは加賀に帰ってくる。それまでに地盤を固めねばならぬ。それが出来るか出来ないか、やってみなくてはわからぬ。違うか?」

「いえ、その通りにございます」


 俺の視線に応えたのは、冨樫家の庶流にあたる出自の重臣・英田昌継。ここまで発言した四人がいずれも守護代を務めたことのある家柄だった。それほど守護代が固定されない流動的な状況だったことが分かる。しかし、その口から発せられた言葉とは裏腹に、昌継の口許は僅かに歪んでいた。


「信じられないという表情だな。無理もない。今の状況は芳しくない故、そしてこれまでの私を見てきたからこそ、それは的確な懸念であろう」

「いえ、そのようなことはございませぬ」

「よい、よい。全て事実である故な。しかし御神託を授かり、目が覚めた。我らには加賀を平穏に治める義務がある。ようやくそのことに気づいたのだ」

「靖十郎様……」


 自虐にも見える俺の言葉に、空気が少し湿っぽくなる。


「三年ある。我らには三年の月日が残されている。私と次郎兄上、そして皆の助力があれば決して難しいことではない!」


 俺は中指と人差し指、薬指を立て、希望がある事を示した。それに賛同するように、「そうだ!」や「我らならできる!」といった声が高々と響く。


「天は冨樫家に最後の機会を与えて下さったのだ。これを裏切るは加賀守護の恥。そのためにはお主らの助力が不可欠だ。頼む。力及ばぬ我ら二人に力を貸して欲しい!」


 そう言って次郎兄上が頭を深々と下げた。上に立つ者はプライドが邪魔して、頭を下げるなどそうそう出来ることでは無い。この時代に生まれ育ち、尊い立場に就いていながら、こうして何の抵抗も持たずに頭を下げられるのも、次郎兄上の余人には無い長所だろう。それゆえに家臣らは、慌てた様子で諌めるかのように膝を立てた。そして家臣も変化を感じ取っていた。次郎兄上の頼りなく弱気な部分が、鳴りを潜めていることを。


「次郎様、頭をお上げくだされ! 我らは次郎様に全てをお捧げ致しまする!」


 その言葉を皮切りに、次々と追従する者が頭を畳につけていき、最終的には全員が俺たちに向かって頭を下げる恰好となった。


「皆の者、かたじけない。この未熟な我らに力を貸してくれるというその心意気、大変嬉しく思う」


 次郎兄上が微笑を浮かべて感謝を述べると、中には感極まって嗚咽を漏らす者まで現れ出した。それに内心で苦笑しながらも、俺は決意を胸に抱きつつ静かに、されど力強く一言一句を紡ぎ出していく。


「この三年で加賀をこの手で再び治められねば、私は兄上に代わって腹を召す覚悟がある。加賀に戦乱を招いたのは他でもない、この冨樫家の責任。これを収拾できぬのなら、もはや守護など要らぬ」

「は、腹を召すなど、そのようなこと間違っても申してはなりませぬ」


 氏泰が狼狽した様子で諌めるが、俺は口を真一文字の結んだまま、その双眸を射抜いた。


「私の言葉が冗談に聞こえるか?」

「……いえ」


 氏泰はそれ以降は口を噤んだ。長い間傅役として俺の側にいたのだから、心から心配しての言葉なのだろう。しかしその言葉は「この荒れた加賀を治めることなど無理だ」という本心を浮き彫りにしているに他ならない。俺だって腹を切りたくはない。しかし何の因果か、現代を生きてきた普通の人間に過ぎなかった俺が、知識を携えたままこの舞台に据えられたのだ。


 俺には決定的に違う部分がある。それは歴史を知っていること、様々な現代知識を持っていることだ。前者は言わずもがなで、三年というのは何の根拠もなく言っている訳では無い。実際に史実では山科本願寺の戦いの後、畿内の情勢が落ち着くまでの三年間は、加賀は空き家同然の状態になっている。


 下間一党はこの享禄の錯乱で家中で意見が割れ、加賀の指導者であった下間頼秀は失脚し、新たに下間頼慶が指導者として君臨することになるが、それは天文四年(1535年)になってからだ。それまでは加賀は指導者が不在の状態になる。この好機を逃し、本願寺門徒の帰還まで何も出来ず、結局逃亡した史実の二の舞だけは何としても回避したい。


 後者は現代知識によって守護としての力を高めていけるということ。主だったものでは、単純な金稼ぎであろう。お金が無ければ何も出来ない。資金力の無い守護家の庇護下に入ろうという人間など何処にもいないのだ。財政が潤えば、本願寺とも戦える戦力を貯えられるかもしれない。


「加賀の民を救う。それが我らの責務なのだ」


 俺は噛み締めるように自らの口に拳を当てる。煎り付ける様な油蝉の合唱は、既に聞こえなくなっていた。

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