周幾   名将たち4

周幾しゅうき代人だいじんである。父は周千しゅうせん拓跋珪たくばつけいの時代に功績を挙げ、順陽侯じゅんようこうに封じられるも、もろもろごとに巻き込まれ処刑された。いいのかそこ曖昧で。

ともあれ周幾は幼い頃より騎射を得意とし、獵郎りょうろうに抜擢されている。拓跋嗣たくばつしが即位すると殿中侍御史でんちゅうじぎょしとなり、宮廷周りの守備の統括者として数多くの難解な裁判の判決を下し、称えられた。やがて左民尚書さみんしょうしょとなった。


415 年あたりの頃、并州へいしゅうに発生した飢饉で食うに困った者たちが山を越え、兗州えんしゅうに流れ出てくる。拓跋嗣たくばつしは周幾に兵を与え、博陵はくりょう魯口ろこうに陣を構えさせ、そうした飢民らを集め安堵に当たらせた。417 年ころ、白澗はくかん行唐ぎょうとうの民数千世帯が山間に逃れ、租税納入を拒否。周幾と長孫道生ちょうそんどうせいが出向き、納税と反逆者としての処罰、どちらがマシであるかを高らかに告げ、逃散民たちを引返させた。この頃、当地ではまつろわぬ胡族の翟猛雀てきもうじゃくを討伐、林慮山りんりょざんにて斬り捨てていたのだが、その遺児たちが行唐や襄國じょうこくに逃げ込んでいた。周幾は追討し、これらをことごとく滅ぼした。


後に寧朔將軍ねいさくしょうぐんとなり、東晋將とうしんしょう劉裕りゅうゆうの侵略を防ぐため南下、毛德祖もうとくそ土樓どろうにて破った。この功績から交阯侯こうしこうに封じられた。


拓跋燾たくばつとうが即位すると、周幾の智勇が改めて高く評価され、河南かなん守備に任じられた。その威信は国境の外にも高く轟いた。洛州刺史らくしゅうしし于栗磾うりつていを率い一万の兵力で陝城きょうじょうを攻撃している最中に陣没した。軍中でその死を惜しみ、嘆かないものはいなかった。交阯公が追贈され、かんと諡された。




周幾,代人也。父千,有功太祖之世,賜爵順陽侯。坐事死。幾少以善騎射為獵郎。太宗即位,為殿中侍御史,掌宿衞禁兵,斷決稱職。遷左民尚書。神瑞中,并州飢民遊食山東,詔幾領眾鎮博陵之魯口以安集之。泰常初,白澗、行唐民數千家負嶮不供輸稅,幾與安康子長孫道生宣示禍福,逃民遂還。于時郡縣斬叛胡翟猛雀於林慮山,猛雀遺種竄於行唐及襄國。幾追討,盡誅之。後為寧朔將軍,拒司馬德宗將劉裕於南,破毛德祖於土樓。以功賜爵交阯侯。世祖以幾有智勇,遣鎮河南,威信著于外境。率洛州刺史于栗磾以萬人襲陝城,卒于軍,軍人無不歎惜之。追贈交阯公,諡曰桓。


(魏書30-10)




んぉー、やっぱり拓跋嗣〜拓跋燾の世代でトップクラスの武勲をあげてても扱いが小さくならざるを得ない感じですね。将才だけで言えば北魏初期の諸将に劣るとは決して思わんけど、ただ「国を立てた功績」にはさすがに勝てない感じ。ていうか武将多すぎませんかね! もう少し優れた参謀とかの話とかも伺いたかとです! いやまぁそんなのんびりとした存在なんて基本許さないだろうけどさ!

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