宿石他  名将たち3

宿石しゅくせき朔方さくほう人で、赫連勃勃かくれんぼつぼつの弟、劉文陳りゅうぶんちんの曾孫にあたる。399 年に劉文陳は子を引き連れ拓跋珪たくばつけいのもとに帰順した。拓跋珪は帰順を慶賀し、宗族の娘を妻としてあたえ、さらに数十人の奴婢と上將軍じょうしょうぐんの官位をも与えた。

祖父の劉若豆根りゅうじゃくとうこんの代にいたり、拓跋嗣たくばつしより宿姓を与えられ、上將軍を継承。父の宿沓干しゅくとうかん拓跋燾たくばつとうの時代に虎賁幢將こほんとうしょうとなった。宿石は 13 歳で爵位を継承、中散ちゅうさんに抜擢された。471 年に死亡。太原王たいげんおうが追贈され、こうと諡された。葬礼は盧魯元ろろげんのときのものに準拠された。


來大千らいだいせん代人だいじんである。父は来初真らいしょしん、拓跋珪の叱候山しつこうさん退避に参与しており、創業に貢献したことから後將軍こうしょうぐん武原侯ぶげんこうとされ、八議にも参与した。

来大千は驍勇果断、騎射をよくし、騎都尉きといに任じられた。拓跋嗣が即位してまもなくの頃父より爵位を継承、中散にいたった。ある年頭の朝賀の際、来大千は常に皇帝より下賜された甲冑に身を包み、宮殿前を馬に乗り、悠然と周回。朝臣は皆その姿に嘆息した。內幢將ないとうしょうに移り、宿衞禁旅しゅくえいきんりょ、つまり近衛軍の統括をなした。来大千の法規運用は厳格であり、その配下は末端に至るまで粛然とした。

かつて拓跋嗣に従い狩猟に出たとき、高い岩山の上に虎が現れたことがあった。来大千は矛を構えて突撃、手ずから虎を刺殺。拓跋嗣はその勇猛さを讃え、殿中給事でんちゅうきゅうじとした。

拓跋燾が即位すると、襄城公じょうじょうこう盧魯元ろろげんら七人とともに拓跋燾のそばに常に侍り、杖を持ってそのそばを守り、昼夜に渡り、決して離れることはなかった。吐京ときょうに出向いた折、死亡した。拓跋燾の悲嘆はしばらく途切れることがなかった。司空しくうが追贈され、莊公そうこうと諡された。




宿石,朔方人也,赫連屈孑弟文陳之曾孫也。天興二年,文陳父子歸闕,太祖嘉之,以宗女妻焉,賜奴婢數十口,拜為上將軍。祖若豆根,太宗時賜姓宿氏,襲上將軍。父沓干,世祖時虎賁幢將。年十三,襲爵,擢為中散。延興元年卒。追贈太原王,諡曰康。葬禮依盧魯元故事。

來大千,代人也。父初真,從太祖避難叱候山,參創業之功,官至後將軍,武原侯,與在八議。大千驍果,善騎射,為騎都尉。永興初,襲爵,遷中散。至於朝賀之日,大千常著御鎧,盤馬殿前,朝臣莫不嗟歎。遷內幢將,典宿衞禁旅。大千用法嚴明,上下齊肅。嘗從太宗校獵,見虎在高巖上,大千持矟直前刺之,應手而死。太宗嘉其勇壯,又為殿中給事。

世祖踐祚,與襄城公盧魯元等七人俱為常侍,持仗侍衞,晝夜不離左右。在吐京卒。世祖悼歎者良久。贈司空,諡曰莊公。


(魏書30-9)




うーん、拓跋燾世代の重臣たちは扱いが軽くならざるを得ないんですなー。なんかこの辺の人物もまともに伝が残ってたらめっちゃ面白そうなんですが、まぁ「国体の建立や改革に大いに参与した人物」たちに比べたら扱いが軽くなってしまうのはやむを得ないですね。それにしても赫連勃勃の弟の子孫とか美味しすぎでしょ。ローラー作戦のいいところは、こうした思いがけない人物を拾い上げられることですね。

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