崔宏4  信寵過之

拓跋珪たくばつけい崔宏さいこうに対して過去の出来事を引き合いに出し、皇帝としての制度の定め方、統治の方法について尋ねた。崔宏が古人の例を種々に引き合いに出し、制度や名君賢臣、興廃の理などを説けば、ことごとくが拓跋珪の意向に合致した。一度たりとも拓跋珪の意向に背いたこともなかったが、さりとてそれは阿諛追従をしていたから、と言うわけでもなかった。

拓跋珪の晩年、大臣たちは拓跋珪より多くの怒号を食らっていた。しかし崔宏ひとりは決して怒鳴りつけられることもなかった。それだけ普段よりの信任が重かったわけである。


拓跋珪が崔宏に漢書かんじょについての講義をさせたときのことである。婁敬ろうけい劉邦りゅうほうに対してりょ氏との間の娘である魯元ろげん公主を匈奴の元に娶らせるべきである、と説いたシーンでは、よい案だ、と拓跋珪が感心した。その様子に内心嘆息するものは少なくなかった。この故事に基づき、拓跋珪の娘たちは周辺国家の王たちに嫁がせられ、北魏の名臣の子弟たちは、例えどれだけの声望を帯びていようと娶ることができなかった。


崔宏が尚書を解任されると、白馬はくば侯に封じられ、周兵將軍に任じられた。その爵位官位は旧来の臣下である庾岳ゆがく奚斤けいきんらにも等しいものであり、信任寵愛は図抜けている、と言えた。


拓跋珪が殺されると、拓跋紹たくばつしょうは人心を得られるかどうかで不安に感じていた。そこで財貨を臣下らに大盤振る舞いした。しかし崔宏は受け取りを拒否。拓跋嗣が即位すると、崔宏の家に寄寓している者に命じて訪問させ、拓跋紹の下賜品を受け取らなかったことを讃えるため布帛二百匹が特別に与えられた。長孫嵩ちょうそんすう(「拓跋紹様に従います」と言いだしている)をはじめとした者たちは多いに恥じ入った。


拓跋嗣は臣下に北魏各地を巡察して回らせた。各地の郡主の職務に落ち度があればそれを糾弾するように、とのことである。また崔宏や穆觀ぼくかんらには各地の慰撫に回らせた。拓跋嗣は崔宏らの働きによって各地に平安がもたらされたことを讃えた。


さらに崔宏には、長孫嵩らとともに朝堂に出向かせ、各処罰の決裁に当たらせた。




太祖常引問古今舊事,王者制度,治世之則。玄伯陳古人制作之體,及明君賢臣,往代廢興之由,甚合上意。未嘗謇諤忤旨,亦不諂諛苟容。及太祖季年,大臣多犯威怒,玄伯獨無譴者,由於此也。太祖曾引玄伯講漢書,至婁敬說漢祖欲以魯元公主妻匈奴,善之,嗟歎者良久。是以諸公主皆釐降于賓附之國,朝臣子弟,雖名族美彥,不得尚焉。尚書職罷,賜玄伯爵白馬侯,加周兵將軍,與舊功臣庾岳、奚斤等同班,而信寵過之。

太祖崩,太宗未即位,清河王紹聞人心不安,大出財帛班賜朝士。玄伯獨不受。太宗即位,命玄伯居門下,虛己訪問,以不受紹財帛,特賜帛二百匹。長孫嵩已下咸愧焉。詔遣使者巡行郡國,糾察守宰不如法者,令玄伯與宜都公穆觀等按之,太宗稱其平當。又詔玄伯與長孫嵩等坐朝堂,決刑獄。


(魏書24-12)




太宗即位,命玄伯居門下,虛己訪問,

の部分が正直よくわからん。まぁ、とりあえずどんな形であれ訳文が落ちていれば橋頭堡にできるってコトで許してもらいましょう。それ以外の感想は「なんだこの愛され漢族……」しかないのでな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る