崔宏4 信寵過之
拓跋珪の晩年、大臣たちは拓跋珪より多くの怒号を食らっていた。しかし崔宏ひとりは決して怒鳴りつけられることもなかった。それだけ普段よりの信任が重かったわけである。
拓跋珪が崔宏に
崔宏が尚書を解任されると、
拓跋珪が殺されると、
拓跋嗣は臣下に北魏各地を巡察して回らせた。各地の郡主の職務に落ち度があればそれを糾弾するように、とのことである。また崔宏や
さらに崔宏には、長孫嵩らとともに朝堂に出向かせ、各処罰の決裁に当たらせた。
太祖常引問古今舊事,王者制度,治世之則。玄伯陳古人制作之體,及明君賢臣,往代廢興之由,甚合上意。未嘗謇諤忤旨,亦不諂諛苟容。及太祖季年,大臣多犯威怒,玄伯獨無譴者,由於此也。太祖曾引玄伯講漢書,至婁敬說漢祖欲以魯元公主妻匈奴,善之,嗟歎者良久。是以諸公主皆釐降于賓附之國,朝臣子弟,雖名族美彥,不得尚焉。尚書職罷,賜玄伯爵白馬侯,加周兵將軍,與舊功臣庾岳、奚斤等同班,而信寵過之。
太祖崩,太宗未即位,清河王紹聞人心不安,大出財帛班賜朝士。玄伯獨不受。太宗即位,命玄伯居門下,虛己訪問,以不受紹財帛,特賜帛二百匹。長孫嵩已下咸愧焉。詔遣使者巡行郡國,糾察守宰不如法者,令玄伯與宜都公穆觀等按之,太宗稱其平當。又詔玄伯與長孫嵩等坐朝堂,決刑獄。
(魏書24-12)
太宗即位,命玄伯居門下,虛己訪問,
の部分が正直よくわからん。まぁ、とりあえずどんな形であれ訳文が落ちていれば橋頭堡にできるってコトで許してもらいましょう。それ以外の感想は「なんだこの愛され漢族……」しかないのでな。
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