崔宏3  家徒四壁

拓跋珪たくばつけいぎょうを見て回る。このとき崔宏に過去の出来事について尋ねる。崔宏の回答は流れるがごとくで留まることがなく、拓跋珪はこの受け答えに喜んだ。


拓跋珪とともに一度平城へいじょうに帰還してから、今度は恒嶺こうれいに出る。拓跋珪自ら登山し、また新たに支配下に収めた民たちを慰撫して回った。このとき崔宏は老いた母を助けて登山をした。この振る舞いを拓跋珪は祝福し、崔宏に米や牛を下賜した。

こののち北魏領内に移す民の内自力で歩けないものについては牛や車を与えた。


崔宏は吏部尚書に任じられた。拓跋珪は有司に官位爵位・朝会の儀礼式辞・宮廷音楽・律令・刑法を定めさせ、その総監督を崔宏に務めさせた。このときに定められた諸制度は、以降変更することなく用いるよう命が下された。


北魏にあった八部大夫、八人の高官の地位を尚書八座になぞらえさせ、八部を含んだ三十六曹を任命、そのとりまとめを任じられた。拓跋珪よりの信任はこれほどのものであった。その権勢は拓跋珪をも脅かすのではないか、と噂されるほどのものだった。


とは言え、自身は倹約を貫き、自分のことは自分で行った。蓄財には興味を示さず、その住居も一室しかなかった。出掛けるときも車に乗ることはなく、朝会にも徒歩で参内した。


母親の歳が七十にも及び、介護をするにも自身のための食事は必要以上に用意しない。拓跋珪は密かに人を遣わせて崔宏の介護の様子を確認させ、評判通りの行いをしていることを知ると、ますます崔宏への信任を深め、厚く褒賞を下賜した。


この頃崔宏の倹約は行きすぎではないかと批判するものもいたが、それを聞いても崔宏の倹約ぶりはますます募る一方だった。




太祖幸鄴,歷問故事於玄伯,應對若流,太祖善之。及車駕還京師,次於恒嶺。太祖親登山頂,撫慰新民,適遇玄伯扶老母登嶺,太祖嘉之,賜以牛米。因詔諸徙人不能自進者,給以車牛。遷吏部尚書。命有司制官爵,撰朝儀,協音樂,定律令,申科禁,玄伯總而裁之,以為永式。及置八部大夫以擬八坐,玄伯通署三十六曹,如令僕統事,深為太祖所任。勢傾朝廷。而儉約自居,不營產業,家徒四壁;出無車乘,朝晡步上;母年七十,供養無重膳。太祖嘗使人密察,聞而益重之,厚加饋賜。時人亦或譏其過約,而玄伯為之踰甚。


(魏書24-11)




やば、息子とは違う形で周辺の大臣たちに当てつけてますねこの人……と言うか拓跋珪のラブラブっぷりが思った以上にヤバい。だいたい中山襲撃以降でようやく獲得した人材にいきなり丞相クラスの職務与えるとかマジでおかしい。いったいどんだけの評判持ちだったんだこの人。

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