張袞4  帝意に違う

398 年ころ、平城へいじょうへの召喚を受け帰還した。


崔逞さいていとともに東晋とうしん将の郗恢ちかいに手紙を書いたが、拓跋珪の意向を汲み取りきれないものであったたため尚書令史に降格となった。


張袞は北魏建国をはじめから見届けており、その才覚から多くの任務を命じられており、忠心もって拓跋珪にも建言してきたときにも、拓跋珪からの不興なども顧みなかった。


拓跋珪がかつて南方の人間の登用等について張袞に問い合わせたことがあった。張袞は盧溥ろふと任地にてしばしば会談をなし、その才覚に感じ入っていたため、拓跋珪に推挙した。また崔逞については、まともに顔を合わせない状態で、ただその風聞を耳にしていたからと言う理由で推挙していた。中山ちゅうざんを陥落させたところで盧溥は人々を集め反逆するし、崔逞はうまい手紙を書くこともできない。どちらも張袞の推挙にまったくそぐわないではないかと、拓跋珪は怒った。


410 年、張袞は 72 歳で死亡した。拓跋燾の時代になってその功績が再評価され、大鴻臚に張袞の墓にまで太保、文康公の追贈をする旨の文書を持たせた。




天興初,徵還京師。後與崔逞答司馬德宗將郗恢書失旨,黜袞為尚書令史。袞遇創業之始,以有才謨見任,率心奉上,不顧嫌疑。太祖曾問南州人於袞。袞與盧溥州里,數談薦之。又袞未嘗與崔逞相見,聞風稱美。及中山平,盧溥聚黨為逆,崔逞答書不允,並乖本言,故忿之。

袞卒,年七十二。後世祖追錄舊勳,遣大鴻臚即墓策贈太保,諡曰文康公。


(魏書24-8)




張袞さんの生涯ってめっちゃ面白そうなのに、情報が……少なすぎる……! なんか読んでてあまりの虫食いっぷりに泣きたくなりました。

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