劉顕   まつろわぬ独孤

匈奴独孤部大人劉庫仁りゅうこじんの息子、劉顯りゅうけん。もとは醜伐しゅうばつという名であった。叔父の劉眷りゅうけんを殺害して独孤部を簒奪、拓跋珪たくばつけいを襲おうと企んだ。このあたりは既に拓跋珪のところで語ったとおりだ。

拓跋珪が魏王を名乗ると、劉顯は善無ぜんぶを引き払い、南方の馬邑ばゆうに拠点を移した。


劉顕の族人である劉奴真りゅうどしんが拓跋珪に帰順。このころ劉奴真の兄である劉犍りゅうけん賀蘭部がらんぶに寄寓していた。そこで劉奴真は自らが率いている部民たちを兄に委ねたいと思い、北魏に招こうと考える。拓跋珪はそのふるまいを義あるものであると讃え、許可した。


劉犍が部民らを引き受けると、これまで賀蘭部、中でも賀訥がとつに面倒を見てもらっていたことを恩に思い、弟の劉去斤りゅうきょきんに金や名馬を持たせ、賀蘭部に訪問させた。

やってきた独孤別部の使者にまみえると、賀訥の弟である賀染干がせんかんが言う。


「わしらはこれまで、貴様ら兄弟を手厚くもてなしてきた。部民を引き受けたというのであれば、貴様はそやつらを引き連れてわしらに従うべきであろう」


劉去斤はそれももっともであると思い、劉奴真に賀蘭部に従うよう願い出る。すると劉奴真は言う。


「わが父は拓跋氏の家臣として働き、世にその忠節を知らしめたのだ。おれとて父のなさりように従い、まっとうする心積もりである。だからこそ兄上に我らが部民を託したのだ。お前たちの言っていることはまるで道理に合わん、ならば主に背かんと期している、ということになるな」

そう言って劉犍と劉去斤を殺した。


賀染干がそれを聞くと、ただちに騎兵を率いて劉奴真目掛けて攻め立ててくる。劉奴真は恐れて、部民を率い拓跋珪のもとに逃げ込んだ。拓跋珪は自ら劉奴真を迎え入れた上、賀染干に使者を飛ばし、攻撃を糾弾、その上で兵を止めるよう求めた。劉奴真は恩を感じ、妹を拓跋珪の後宮に差し出したいと願い出た。拓跋珪もそれを受け入れた。


後に拓跋珪は馬邑ばゆうの劉顕を攻撃し、彌澤びたくにまで追撃、大破した。


このころ匈奴きょうど鉄弗てつふつ部の劉衞辰りゅうえいしん慕容垂ぼようすいとよしみを通じるため馬三千頭を送り、慕容垂もまた慕容良ぼようりょうを派遣して出迎えさせようとした。劉顕はそこに襲いかかり、馬を略取して去った。この動きに慕容垂は怒り、子の慕容麟ぼようりん、甥の慕容楷ぼようかいに討伐に向かわせた。

劉顯は馬邑ばゆう西山に逃げ込む。慕容麟が輕騎にて追撃をかけると、更に長子ちょうしに割拠する慕容永ぼようえいのもとに逃げ込んだ。残された独孤部の部民はことごとく慕容麟に降伏。慕容麟は彼らを中山ちゅうざんに移した。


劉顯の弟劉亢泥りゅうこうでいについては、その詳細が皇后伝に詳しい。




顯,本名醜伐,既殺眷代立,又欲謀逆,語在太祖紀。太祖即位,顯自善無南走馬邑。

族人奴真領部來附。奴真兄犍,先居賀蘭部。至是,奴真請召犍而讓部焉。太祖義而許之。犍既領部,自以久託賀訥,德之,乃使弟去斤遺之金馬。訥弟染干因謂之曰:「我待汝兄弟厚,汝今領部,宜來從我。」去斤請之奴真。奴真曰:「父為國家附臣,世効忠貞。我志全名節,是故推讓。今汝等無狀,乃欲叛主懷貳。」於是殺犍及去斤。染干聞其殺兄,率騎討之,奴真懼,徙部來奔太祖。太祖自迎之,遣使責止染干。奴真感恩,請奉妹充後宮,太祖納之。

後太祖討顯于馬邑,追至彌澤,大破之。衞辰與慕容垂通好,送馬三千匹於垂,垂遣慕容良迎之。顯擊敗良軍,掠馬而去。垂怒,遣子麟、兄子楷討之,顯奔馬邑西山。麟輕騎追之,遂奔慕容永於長子。部眾悉降於麟,麟徙之中山。顯弟亢埿,事在皇后傳。


(魏書23-7)




拓跋珪のところで見ると独孤鉄弗賀蘭がくんずほぐれつでさっぱりわけ解んなかったんですが、ここだけで見ると割とスッキリしてるように見えます。まーそれでもいまいち流れが掴みきれてないんですが。


やっぱり拓跋拓跋別部独孤鉄弗賀蘭のイチャイチャチャートは必須だなあ。

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