魏書巻23 代々の重臣

莫題   殺された元勲

北魏ほくぎ元勲の一族、ばく氏。拓跋珪たくばつけいの時代には莫題ばくだいるが活躍し、名を知られている。


魏書ぎしょにおける記述は、その祖父莫含ばくがんからである。雁門かんもん繁畤はんしの出身。その子である莫顕ばくけんが拓跋什翼犍の時代、その左常侍となっていた。代々拓跋氏の重臣として仕えてきたわけだ。


莫題も重臣の子にふさわしい知略を備えていた。後燕こうえんに就き、拓跋氏と対立していた匈奴きょうど独孤どっこ部の劉亢泥りゅうこうでいと戦ったときも、王建ら三軍とともに強襲をかけ、劉亢埿を討ち取った。残された独孤部の部人たちを集め、平城へいじょうへと連れ帰った。

このとき、上谷じょうこくを守っていた慕容驎ぼようりんが任地を捨て逃亡。拓跋珪が追撃を掛ける際、莫題を大將として別働隊とし、東回りで追撃をかけさせた。これらの功績より東宛とうえん侯に封じられた。


平城に帰還すれば、宴のごとに李栗りりつとともに拓跋珪の側に侍った。

しかしその李栗が不敬罪を負い、罷免される。このとき莫題を連座となり濟陽さいよう太守に降格された。


後に拓跋珪が宮殿拡張を目論み、平城の四方数kmほどを測量させる。このときの条里設計についてはぎょう洛陽らくよう長安ちょうあんで用いられた内容に即すよう指示がなされた。

条里開発のために数百万もの資材が運搬される。このとき莫題には資材運搬の進捗管理が任ぜられることになり、どのように工程を管理するかを拓跋珪とともに打ち合わせる。しかしその態度があまりにもだらけていたため、ついには拓跋珪により殺された。




莫含,雁門繁畤人也。子顯,昭成世,為左常侍。顯子題,亦有策謀。太祖使題與將軍王建等三軍,討慕容寶廣寧太守劉亢埿,斬之。徙亢埿部落于平城。寶上谷太守驎,捐郡逃走,太祖追討,題為大將,別出東道。以功賜爵東宛侯。及還京師,常與李栗侍宴。栗坐不敬獲罪,題亦被黜為濟陽太守。後太祖欲廣宮室,規度平城四方數十里,將模鄴、洛、長安之制,運材數百萬根。以題機巧,徵令監之。召入,與論興造之宜。題久侍頗怠,賜死。


(魏書23-1)



えっ(えっ)


殺され方がヤバくないですかこれ。まぁ間違いなく晩年だから「あぁ、いつものアレか」で終わらすべきなのかもしれませんが。


それにしても、この拓跋氏系氏族は整理しておきたいし、あと魏書からうかがえる拓跋慕容鉄弗てっふつ独孤賀蘭がらんの並列タイムラインは作っておかないと訳わかんないですねこれ。「ごちゃごちゃしました」で終わりでもいい気はするけど。

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