昭成裔13 拓跋窟咄
北では拓跋部と
周辺諸部で拓跋窟咄に従う者が出始め、更に拓跋珪の側近である
しかし三日後、于桓が今度はその母の兄である
于桓らの目論見が潰えたとは言え、拓跋珪は不利なままである。しかもこのまま手をこまねいていれば、さらなる内応をも招く。そこで拓跋珪はいちど
慕容垂は拓跋を援護するため、子の
慕容麟の軍が到着しないうちに、拓跋窟咄はジリジリと軍を迫らせる。また
拓跋珪は
昭成子窟咄。昭成崩後,苻洛以其年長,逼徙長安,苻堅禮之,教以書學。因亂隨慕容永東遷,永以為新興太守。
劉顯之敗,遣弟亢埿等迎窟咄,遂逼南界,於是諸部騷動。太祖左右于桓等謀應之,同謀人單烏干以告。太祖慮駭人心,沉吟未發。後三日,桓以謀白其舅穆崇,崇又告之。太祖乃誅桓等五人,餘莫題等七姓,悉原不問。太祖慮內難,乃北踰陰山,幸賀蘭部,遣安同及長孫賀徵兵於慕容垂。賀亡奔窟咄,安同間行遂達中山。慕容垂遣子賀驎步騎六千以隨之。安同與垂使人蘭紇俱還,達牛川,窟咄兄子意烈捍之。安同乃隱藏於商賈囊中,至暮乃入空井,得免,仍奔賀驎。軍既不至,而稍前逼。賀染干陰懷異端,乃為窟咄來侵北部。人皆驚駭,莫有固志。於是北部大人叔孫普洛節及諸烏丸亡奔衞辰。賀驎聞之,遽遣安同、朱譚等來。既知賀驎軍近,眾乃小定。
太祖自弩山幸牛川。窟咄進屯高柳。太祖復使安同詣賀驎,因克會期。安同還,太祖踰參合,出代北與賀驎會於高柳。窟咄困迫,望旗奔走,遂為衞辰殺之,帝悉收其眾。賀驎別帝,歸於中山。
(魏書15-13)
こういうところを見ても、拓跋珪は強いから勝ったんじゃなくて勝ったから強い、と言う印象になりますね。そして若い、というより幼い段階から親族と普通に殺し合ってたわけで、存なん壊れるわな普通に、と言う印象。劉裕を史書読みのスタートにしてる人間からしてみれば殺伐にもほどがあります。劉裕も早い段階からひとは殺しまくってるだろうけど、親族は殺さなかったでしょうし。いやまぁアレだけ不自然に親族がいないんならどっかで親族粛清してそうな気配も感じるんですが。
ともあれ、拓跋も慕容もやべえアンドやべえだな、と思うのでした。
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