昭成裔12 拓跋意烈

遼西りょうさい公、拓跋意烈たくばついれつ拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけんの孫(拓跋力真たくばつりきしんの子)だ。後燕こうえん慕容垂ぼようすいに拉致されており、拓跋珪たくばつけい中山ちゅうざんを攻めるにあたり、妻子を捨て井陘せいけいまで迎えに出た。旧後燕領制圧戦では多くの戦功を挙げ、遼西公に封じられ、廣平こうへい太守に任じられた。


ぎょうが制圧されると、和跋わばつが鄴の仮政府の取締役となった。拓跋意烈は勇猛であったが、うぬぼれ屋でもあった。拓跋珪の親族であるはずなのに和跋の下につかねばならないことを恥じ、ついには仲間を集めて鄴を襲撃せんと企む。しかし間もなく発覚し、処刑された。


拓跋意烈の子の拓跋拔干たくばつばつかんは広く昨今の歴史に通じていた。父が罪に処されたとは言え、拓跋珪は近い親族であることを理由に腹心として機密事項にも触れさせていた。計略に長け、忠勤を示した。


拓跋嗣たくばつしが即位したところで勃海太守に任じられた。任地の官吏や民は拓跋拔干の統治に喜んだ。武遂ぶすい子に封じられた。平原へいげん郡の幹部として転任すると、將士の心を掌握した。死亡し、靈公れいこうと諡された。


拓跋意烈の弟、拓跋勃たくばつぼつ。射撃や馬の統御に長け、功績を挙げ、彭城ほうじょう公に封じられた。死亡すると金陵きんりょう、すなわち拓跋珪の陵墓に陪葬された。




遼西公意烈,昭成子力真之子也。先沒於慕容垂,太祖征中山,棄妻子迎於井陘。及平中原,有戰獲勳,賜爵遼西公,除廣平太守。時和跋為鄴行臺,意烈性雄耿,自以帝屬,耻居跋下,遂陰結徒黨,將襲鄴,發覺賜死。

子拔干,博知古今。父雖有罪,太祖以拔干宗親,委之心腹。有計略,屢效忠勤。太宗踐阼,除勃海太守,吏人樂之。賜爵武遂子。轉平原鎮將,得將士心。卒,諡曰靈公。

意烈弟勃,善射御,以勳賜爵彭城公。卒,陪葬金陵。


(魏書15-12)




拓跋意烈はどこで名前を見たんだっけなあ。なかなかインパクトある名前だなーとは思ってたんですが、こんな最期だったんですね。あと息子がカッコいい。弟はよくわからん。


にしても、漢人名と鮮卑名が入り混じってるのを見ると、拓跋珪とか拓跋嗣の鮮卑名も、秘されてるだけで本当はあったのかも。その辺もしれたら面白いですが、まぁそれ以前に鮮卑語が知りたいよね!!!!

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