昭成裔11 拓跋順

拓跋順たくばつしゅん拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけんの孫(拓跋地干たくばつちかん子だ。だいぶそそっかしく、危うい性格をしていた。


拓跋珪が魏王を名乗った頃、南安あんなん公に封じられた。中山ちゅうざん包囲戦の時には平城へいじょうを守るよう命じられた。栢肆はくしんにて拓跋珪が敗れると、平城に逃げ帰ってきた兵士たちは口を揃えて「軍は散り散りとなり、陛下の行方もわからない」と語る。拓跋順は独立する好機だと企んだが、莫題ばくだいに諫められ、思いとどまった。


拓跋珪の敗報を好機と見たか、賀力眷がりきけんらが兵を集め、陰館いんかんにて謀反を起こす。拓跋順は討伐に出たが破れ、白登はくとうから南下、繁畤はんしにある城に逃れ、灅水るいすいを天然の堀として守りを固め、兵たちを慰撫した。拓跋珪は敗軍収集の手際を讃え、王に進封、司隸しれい校尉に任じた。


やがて拓跋珪は黃老こうろうの術に溺れるようになり、親族や高官などを呼び寄せてはともに溺れるよう誘ってきた。その場にいたものは皆「祗肅ていしゅく」、謹んで聞いていた、とあるが、おそらくみな逆らえば殺されると思って固まっていたのだろう。ただその中にあり、拓跋順だけは場に寝転んであくびを浮かべていた。更にはそっぽを向き、タンを吐く。拓跋珪はその態度に怒り、拓跋順の王位を廃した。そして「家で死んだ」。家で死んだ。大事なことなので。




毗陵王順,昭成子地干之子也。性疏佷。登國初,賜爵南安公。及太祖討中山,留順守京師。栢肆之敗,軍人有亡歸者,言大軍奔散,不知太祖所在。順聞之,欲自立,納莫題諫,乃止。時賀力眷等聚眾作亂於陰館,順討之不克,乃從留宮自白登南入繁畤故城,阻灅水為固,以寧人心。太祖善之,進封為王,位司隸校尉。太祖好黃老,數召諸王及朝臣親為說之,在坐莫不祗肅,順獨坐寐欠伸,不顧而唾。太祖怒,廢之。以王薨於家。


(魏書15-11)




うーんこの、拓跋珪がキチガったことをダイレクトに書けないもんだから、何やらいちいち書き方に配慮が感じられて良いですね。それにしても拓跋順はフリーダムです。あるいは、狂い始めた拓跋珪に対する抵抗、みたいなのもあったのかな。


何はともあれ、「家で死んだ」には暗殺の気配が感じられてならなくてベネでございます。

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