昭成裔10 拓跋顗

拓跋虔たくばつけんの兄、拓跋顗たくばつぎ。重々しい性格で口数少なく、拓跋珪たくばつけいは常にこの又従兄弟に敬意を払っていた。策略立案に長けており、中山ちゅうざん侵略に従軍、そのときの功績から蒲城ほじょう侯、平盧へいろ太守に任じられた。その寵遇は特に厚く、鼓吹や羽儀が与えられて、朝見等においては岳牧、すなわち地方長官と同等の礼でもって扱われた。その施政は威厳と信頼によって讃えられた。


官職に就くこと七年、拓跋珪は平盧太守を拓跋顗から拓跋易干たくばつえきかんに変更することにした。この頃、拓跋易干の子である拓跋萬言たくばつばんげんが拓跋珪よりの寵愛を得ていた。そのため拓跋易干は子の威光をかさに着て拓跋顗を軽んじており、その異動命令を拓跋顗に知らせることなく、輕騎にて拓跋顗のもとに攻め寄せ、いきなり拓跋顗を太守の椅子から引きずり落とし、自身がその椅子に着いた。太守が変わるという命令を知らずにいた拓跋顗、はじめは何らかの罪で捕らえられることになったのかと思ったのだが、話を聞けば、単に拓跋易干に侮られたのだと知る。なので拓跋易干に言う。

「任期満了として交代をするというのであれば、よくあることだ。だが貴様はおれを侮辱した、どうして許容できようか!」

そして拓跋易干を捕らえ、撲殺した。その後ようやく正確に交代命令を目の当たりとした。拓跋珪は経緯を聞き、むしろ拓跋顗を勇者である、と賞賛した。


とは言え父を殺された拓跋萬言に取ってはたまったものではない。幾度となく拓跋顗の罪を言いつのり、最終的には拓跋顗に罪をあがなうよう命令が下った。拓跋顗もまたその罪に大人しく服する旨申告。それを聞き、拓跋珪はついに特赦を下す。


その後、病で死んだ。




虔兄顗,性嚴重少言,太祖常敬之。雅有謀策,從平中山,以功賜爵蒲城侯、平盧太守,特見寵厚,給鼓吹羽儀,禮同岳牧。莅政以威信著稱。居官七年,乃以元易干代顗為郡。時易干子萬言得寵於太祖,易干恃其子,輕忽於顗,不告其狀,輕騎卒至,排顗墜牀而據顗坐。顗不知代己,謂以罪見捕,既而知之,耻其侮慢,謂易干曰:「我更滿被代,常也;汝無禮見辱,豈可容哉!」遂搏而殺之,以狀具聞。太祖壯之。萬言累以訴請,乃詔顗輸贖。顗乃自請罪,太祖赦之,復免其贖。病卒。


(魏書15-10)




しゅごい、ぜんぜん拓跋珪の覇道に関係ないけど、めっちゃ人物がいきいきとしてる。この辺、宗室の子孫から話聞いて回ったりとかしたのかなあ。いくら何でも帝紀に較べて人物がいきいきとしすぎじゃないですかね?

にしても「易干」についてはこれ、鮮卑語もしくは匈奴語名なんでしょうね。没奕于とかとそっくり。こうした拓跋の鮮卑語名とかうまく原音で再現できたら最高なんだけどなぁ。拓跋たちにはカタカナ名が似合う。(偏見)

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