昭成裔9  拓跋悦

拓跋虔たくばつけんの遺児、拓跋悅たくばつえつ。彼は表向き柔和であったが、その内実は凶暴であった。拓跋珪たくばつけいは拓跋虔が国のために死んだことを踏まえ、拓跋悦を特に引き立てて、左將軍に任じ、拓跋虔が封じられていた陳留ちんりゅう王位を継承させた。更に宗族の統帥者にも任じた。


しかしこういった特別待遇をかさに着、おごり高ぶるようになった。宗族の子弟や高官の子弟らに語る。

「もし陛下が身罷られたら、わしは拓跋儀たくばつぎ様を頼ろうな。あのお方以外の誰が、わしの前に立てようというのか」

美髯を誇る拓跋儀は当時の宮廷内で非常に重んじられていたため、拓跋悦にとっては拓跋珪以外では唯一憚るべき存在だったのだ。


以前、柴壁さいへきの戦いののち捕虜として獲得していた後秦こうしん将の狄伯支てきはくしを、姚興ようこうの懇願により返還することになった。その護送が拓跋悦に任じられた。雁門がんもんにさしかかったとことで拓跋悦は周辺の良からぬことを目論む豪族たちを招き入れ、彼らの意図に乗らんと企んだ。間もなくその以降がばれ、譴責されそうになった。そのため拓跋悦は雁門に逃げ込み、いよいよ謀反を起こそうと企んだ。しかし地元の人士に捕らわれ、平城に送り返された。拓跋珪はこの拓跋悦の動きを不問とした。


拓跋嗣たくばつしが即位すると、拓跋悦は近侍として招き入れられた。再び大権のそばに立った拓跋悦、過去雁門の人士らに捕らえられたことを逆恨みし、拓跋嗣に言う。

平城へいじょうには様々な人種が混在しており、このうち鮮卑せんぴでないものたちをどこまで信頼しきれるでしょうか。鮮卑としての生き方に従おうとしない者たちは誅殺すべきでしょう。また雁門人も嘘偽りが多く、かの者らも合わせて誅殺すべきです」

もちろん拓跋嗣は却下した。


この件もあり、拓跋悦はやがて自身が拓跋嗣に疑われているのでは、と疑い、恐れるようになった。そのため懐に短刀をしのばせて拓跋嗣の側に侍り、殺害せんと目論んだ。拓跋悦の様子がだいぶおかしなものだったのだろう、同じく拓跋嗣の側にいた叔孫俊しゅくそんしゅんは懐を覗き見、短刀を見とがめる。そのため拓跋悦は捕らえられ、処刑された。




悅外和內佷。太祖常以桓王死王事,特加親寵。為左將軍,襲封。後為宗師。悅恃寵驕矜,每謂所親王洛生之徒言曰:「一旦宮車晏駕,吾止避衞公,除此誰在吾前?」衞王儀,美髯,為內外所重,悅故云。初,姚興之贖狄伯支,悅送之,路由雁門,悅因背誘姦豪,以取其意。後遇事譴,逃亡,投雁門,規收豪傑,欲為不軌,為土人執送,太祖恕而不罪。太宗即位,引悅入侍,仍懷姦計,說帝云:「京師雜人,不可保信,宜誅其非類者。又雁門人多詐,并可誅之。」欲以雪其私忿。太宗不從。悅內自疑懼,懷刀入侍,謀為大逆。叔孫俊疑之,竊視其懷,有刀,執而賜死。


(魏書15-9)




しゅ、しゅごい……自業自得という言葉がこれほどふさわしい人物がいるでしょうか……


にしても「親王洛生之徒」の意味がうまく拾いきれません。親王は宗門でいいと思うんだけど、洛生がね。検索すると謝安が得意としたとされる「おばあちゃんのうめき声みたいな歌い方」=洛下詠(洛下書生の吟詠)が出てくるんだけど、ここをちょっと翻案して「謝安クラスの高官」みたいな感じにすると、ここで言う洛生に当てはまりそうかなあ。同時代ややや後の時代でちょくちょく「洛生」って名前の北朝士人が出てくるから、まぁ「高貴な人」的な意味合いが混じるのは間違いがなさそうではあるんですよね。問題はその出所。北朝人が南朝人の風雅さを好んだ、みたいな話も聞かないではないけど、ここを短絡的にくっつけてもいいものか。

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