昭成裔7  拓跋遵

常山じょうざん王、拓跋遵たくばつじゅん拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけんの孫だ。父は拓跋寿鳩たくばつじゅきゅうである。幼い頃より勇壮であり、細かい礼節にはこだわらなかった。拓跋珪たくばつけいが即位して間もない頃、佐命の勳功から略陽りゃくよう公に封爵された。参合陂さんごうはの戦いにて慕容宝ぼようほうが敗走するときには、別働隊七百騎を率いてその帰路に追撃、大いに戦功を挙げた。


中山ちゅうざんを陥落させると、尚書左僕射、加侍中に任じられ、勃海ぼっかい合口ごうこう県の守備を任じられた。博陵はくりょう、勃海で群盗が起きると、拓跋遵が掃討した。常山じょうざん王に進封された。


拓跋遵は酒を好んだ。407 年に宴会の座にて酔い、拓跋珪の娘である太原たいげん公主に無礼を働いたため処刑された。葬儀は庶人の礼にてなされた。




常山王遵,昭成子壽鳩之子也。少而壯勇,不拘小節。太祖初,有佐命勳,賜爵略陽公。慕容寶之敗也,別率騎七百邀其歸路,由是有參合之捷。及平中山,拜尚書左僕射,加侍中,領勃海之合口。及博陵、勃海羣盜起,遵討平之。遷州牧,封常山王。遵好酒,天賜四年,坐醉亂失禮於太原公主,賜死,葬以庶人禮。


(魏書15-7)




拓跋遵のこのおいたも、あと三、四年早かったら違ったんでしょうねえ。というか拓跋遵が太元公主にモーション掛けられて拓跋珪にバレて、みたいな妄想をついしてしまいたくなるお話でした。

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