昭成裔6  拓跋烈・觚

拓跋儀たくばつぎの弟、拓跋烈たくばつれつ。剛武に智略を兼備した。拓跋紹たくばつしょう拓跋珪たくばつけいを殺したとき、当地の幕僚たちはまともに声上げもできない有様でいたが、拓跋烈だけは自ら外に出てゆき、拓跋紹に取り入る素振りをして、拓跋嗣たくばつし捕縛作戦に名乗りを上げる。拓跋紹は信じ込み、拓跋烈を自由に動かせた。すると拓跋烈、延秋門えんしゅうもんから出たところで拓跋嗣の軍勢を迎え入れた。この功績から陰平いんへい王に封じられた。死亡すると、王と諡された。子の拓跋裘たくばつきゅうが継いだ。



拓跋烈の弟、拓跋觚たくばつこ。勇気に知略、そして胆力を兼ね備えていた。幼い頃から拓跋儀とともに拓跋珪に付き従い、その左右を護衛した。


慕容垂ぼようすいのもとに使者として遣わされると、その頃の慕容垂は政をほとんど臣下に委ねていた。臣下らは帰還しようとする拓跋觚を軟禁したうえ、拓跋珪にまいないを要求してくる。拓跋珪はそれを拒絶。拓跋觚も数十騎を引き連れ、守備将を殺害の上逃走を試みる。しかし慕容宝ぼようほうに囚われ、中山ちゅうざんに送還された。慕容垂は拓跋觚の胆力を気に入り、むしろその待遇をより厚いものとした。以降拓跋觚は中山にて学業に専心、ついには經書數十萬言を暗誦するにいたり、後燕こうえんの者たちはいよいよ拓跋觚を重んじた。


やがて拓跋珪が中山制圧に乗り出すと、慕容驎ぼようりんが自立。ばらばらになりかけていた燕人たちの心を、拓跋觚殺害という形で結びつけた。これを知った拓跋珪は深く慟哭。中山が平定されると慕容驎の棺を暴き出してその遺体を斬る。また拓跋觚を殺すべし、と発議したとされる高霸こうは程同ていどうらについてはみな五族皆殺しとし、大刃にて剉殺ざさつした。


改めて拓跋觚が弔われると、秦愍しんびん王と諡し、子の拓跋夔たくばつき豫章よしょう王に封じ、拓跋觚を祀らせた。




儀弟烈,剛武有智略。元紹之逆,百僚莫敢有聲,惟烈行出外,詐附紹募執太宗。紹信之,自延秋門出,遂迎立太宗。以功進爵陰平王。薨,諡曰熹。子裘襲。

烈弟觚,勇略有膽氣,少與兄儀從太祖,侍衞左右。使於慕容垂,垂末年,政在羣下,遂止觚以求賂。太祖絕之。觚率左右數十騎,殺其衞將走歸。為慕容寶所執,歸中山,垂待之逾厚。觚因留心學業,誦讀經書數十萬言,垂之國人咸稱重之。太祖之討中山,慕容普驎既自立,遂害觚以固眾心,太祖聞之哀慟。及平中山,發普驎柩,斬其尸,收議害觚者高霸、程同等,皆夷五族,以大刃剉殺之。乃改葬觚,追諡秦愍王,封子夔為豫章王以紹觚。


(魏書15-6)




んー、いろいろふしぎ。


とりあえずこの二人は拓跋翰と賀氏との間の子、つまり拓跋珪にとっては弟にしていとこに当たります。この辺を分かりづらくしてるのは漢人にとってレヴィレートがクソ制度だから、「漢人皇帝として」書かれた拓跋珪の周りでレヴィレートの痕跡を可能な限り隠したい、と企図する。まぁこれは魏収さんの心理を思えば当然の配慮でしょうし、まぁいいです。


問題は拓跋觚まわりの記事。他所で慕容麟を慕容普驎扱いとしていたのでここでも従いました。ただ「中山が攻められた時に独立した」は確かに慕容麟の動きなんですが、慕容麟が死んだのって中山じゃないんですよね。慕容徳とともに南方に逃れ、慕容徳に殺されています。となると、慕容麟そっくりな誰かを慕容麟扱いして死体を辱めた、とかなのかなあ。


あと気になるのは「皆夷五族,以大刃剉殺之」。愛しの弟を殺されて復讐に燃えた、もまぁ、わかる。ただ分からないのが以大刃剉殺之。えっなにその具体的な描写? けど剉殺ってなに? はじめ膾切り的なやつ(つまり凌遅三千刀)かな、と思ったんですが、どちらかといえば腰斬ですかねえ。できるだけ惨たらしく殺したかった意図については、いやというほど伝わるんですが。

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