昭成裔4  拓跋儀3

拓跋珪たくばつけい劉衞辰りゅうえいしんの征討に向かう際、拓跋儀たくばつぎには別ルートを進ませた。このため敗走のさなか配下に殺された劉衛辰の死体を獲得、首を斬ると平城へいじょうに運ばせた。拓跋珪は大いに喜び、拓跋儀を東平とうへい公に転封した。


黄河こうが北部にて農地を開発するよう命じられると、五原ごげんから棝楊こようの長城外に至るまでに農夫をそれぞれ配置させ、収穫を得させることで、大いに民心を獲得した。


やがて慕容宝ぼようほうが五原に侵入。拓跋儀は手勢を引き連れ朔方さくほうに拠点を起き、慕容宝の帰還を迎撃するべく待機した。参合陂さんごうはののち并州へいしゅうに拠点を置いていた慕容農ぼようのうを退けた際、拓跋儀の戦功が多かったため、尚書令に転じた。


そして中山ちゅうざんの包囲に従軍。慕容德ぼようとくを破ると、その陣営に残されていた慕容驎ぼようりんの妻、しゅう氏が拓跋儀に与えられた。あわせてその僮僕や財物も、である。まもなく都督中外諸軍事、左丞相に任じられ、衞王に封じられた。中山が平定されると、さらにぎょうに派遣され、平定した。


拓跋珪が平城に帰還すると、中山に仮政府が置かれた。そして拓跋儀に鎮守するよう命が下った。拓跋儀が赴任すると、遠近の民が拓跋儀を頼った。

その後平城に帰還、丞相として拓跋珪の補佐をするようになった。高車討伐の際には別軍を率いて西北に進み高車の別軍を破った。柴壁の戦いでも功績をあげ、絹布、綿、牛、馬、羊、などの褒美を受けた。


拓跋儀の膂力は人並み外れており、引く弓の張力は十石近くにも及んだ。また同じく宗族の拓跋虔たくばつけんが得物として操る矛は尋常でない大きさだった。そこで人々は「衞王は弓、桓王は矛」と語ったそうである。




太祖征衞辰,儀出別道,獲衞辰尸,傳首行宮。太祖大喜,徙封東平公。命督屯田於河北,自五原至棝楊塞外,分農稼,大得人心。慕容寶之寇五原,儀攝據朔方,要其還路。及并州平,儀功多,遷尚書令。從圍中山。慕容德之敗也,太祖以普驎妻周氏賜儀,并其僮僕財物。尋遷都督中外諸軍事、左丞相,進封衞王。中山平,復遣儀討鄴,平之。太祖將還代都,置中山行臺,詔儀守尚書令以鎮之,遠近懷附。尋徵儀以丞相入輔。又從征高車。儀別從西北破其別部。又從討姚平,有功,賜以絹布綿牛馬羊等。儀膂力過人,弓力將十石;陳留公虔,矟大稱異。時人云:「衞王弓,桓王矟。」


(魏書15-4)




拓跋儀とか拓跋虔とか、とてつもない名将なのでしょうね。けど拓跋珪がいるせいで霞む霞む。遊牧民族の場合、いやでも王者に強さが求められるでしょうから、ここについては漢族の史書みたいなアホな忖度がないと期待しています。ひとりで千人を殺すな。あっこれ宋書にも資治通鑑にも書いてなかった。

しかし拓跋儀の書かれっぷり、めっちゃ慕容農が思い出されます。そしてその慕容農はなぜか「并州」と書かれる。柴壁じゃなくて姚平ようへいなのになあ。漢人史書の場合、敵対勢力を勢力名じゃなくて個人名で書く時には大概敵対者を小さく見せたい場合だけど、今回のこれはどんな意図なんでしょうね。

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