昭成裔2  拓跋儀1

しん王、拓跋翰たくばつかん拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけんの三男である。幼い頃から気高く、十五歳の時に騎兵を統率し、各地の征討に出向きたいと拓跋什翼犍に願い出ていた。拓跋什翼犍はその申し出を心強く思い、自由に扱える二千騎を拓跋翰に与えた。成長に応じてその統率は鋭さを増し、厳正にして信頼されるものとなり、各地の討伐にて多くの功績をあげた。395 年に死亡した。拓跋珪たくばつけいが帝位につくと、秦王を追贈、明王と諡した。


拓跋翰の子が拓跋儀たくばつぎである。身長は 180 cm 弱、その面持ちははなはだ威厳に満ち、みごとなもみあげ、あごひげを蓄え、軍略にも優れていた。幼い頃から剣舞を嗜み、その騎射の腕前は人並み外れたものだった。拓跋珪が賀蘭がらん部に赴いた折、常にその側に付き従っていた。拓跋珪が魏王を名乗って間もなく九原きゅうげん公に封じられた。多くの軍役に従軍し、手柄を立てた。




秦明王翰,昭成皇帝第三子。少有高氣,年十五便請率騎征討,帝壯之,使領二千騎。及長統兵,號令嚴信,周旋征討,多有克捷。建國十年卒。太祖即位,追贈秦王,諡曰明。

子儀,長七尺五寸,容貌甚偉,美鬚髯,有算略,少能舞劍,騎射絕人。太祖幸賀蘭部,侍從出入。登國初,賜爵九原公。從破諸部,有謀戰功。


(魏書15-2)




トチ狂った拓跋珪の暗殺を計画、失敗して処刑される拓跋儀が来ました。いとこだから当たり前なのかもですが、めっちゃ譜代も譜代ですね。拓跋珪の立身のすべてを見届けてきた人が、最終的に暗殺を考えなきゃいけなくなるって、もうそれだけで自分好みです。さあ、その栄光に満ちつつも、悲運が約束されているその人生を追っていきます。

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