宗族4 拓跋孤の功績
拓跋翳槐がはじめて拓跋紇那より王位を奪った初年、すなわち 330 年に
一進一退の攻防の末、最終的に代王位を確保しきると、拓跋翳槐は精根尽き果てたか、死の床につく。そこで拓跋孤に、拓跋什翼犍を後趙より連れ戻すよう命じる。代王位を継承させるためである。
拓跋翳槐の死後、臣下らは「王がいままさに崩じた状態では国内外の動揺が懸念される。拓跋什翼犍様がいらっしゃるのは遠い南方であり、こちらに帰還するまでの間に変事が起こったあとでは遅い」と、国内にいる年長者を新たな王に立て、民の動揺を鎮めるべきだ、と論じた。ここで三男の
「吾が兄こそが年長者として王位を継承なさるべきである。長幼の次を飛び越える愚行を犯すような国が、どうして大業を為し得よう」
そうして自ら
拓跋孤の子の
拓跋珪が即位すると、拓跋什翼犍を王位に就けた拓跋孤の功績をたたえ、高涼王に追封、神武王と諡した。このとき拓跋斤の子である
拓跋孤の別口の孫である
吉陽男比干,太祖族弟也。以司衞監討白澗丁零有功,賜爵吉陽男。後為南道都將,戰沒。
高涼王孤,平文皇帝之第四子也。多才藝,有志略。烈帝之前元年,國有內難,昭成如襄國。後烈帝臨崩,顧命,迎昭成立之,社稷可安。及崩,羣臣咸以新有大故,內外未安,昭成在南,來未可果,比至之間,恐生變詐,宜立長君以鎮眾望。次弟屈,剛猛多變,不如孤之寬和柔順,於是大人梁蓋等殺屈,共推孤。孤曰:「吾兄居長,自應繼位,我安可越次而處大業。」乃自詣鄴奉迎,請身留為質。石虎義而從之。昭成即位,乃分國半部以與之。薨。
子斤,失職懷怒,構寔君為逆,死於長安。太祖時,以孤勳高,追封高涼王,諡曰神武。
斤子樂真,頻有戰功,後襲祖封。太宗初,改封平陽王。薨。
孤孫度,太祖初賜爵松滋侯,位比部尚書。卒。
(魏書14-4)
拓跋孤の話はややタイムラインが前ですが、とは言え拓跋楽真の取り扱いを語る上では触れざるを得ない内容なので付記しました。それにしてもずいぶんわかりづらい書き方しよんなぁ。
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