宗族3  拓跋素延

曲陽きょくよう侯、拓跋素延たくばつそえん桓帝かんてい拓跋猗㐌たくばついいの子孫だ。北魏ほくぎ皇室とは拓跋沙漠汗たくばつさばくかんで先祖を同じくすることになる。拓跋の支部を率いて拓跋珪たくばつけいの諸征討に従軍し、并州へいしゅう慕容農ぼようのうを撃破後、并州刺史に任じられた。


397 年に拓跋珪が栢肆はくしんにて慕容宝ぼようほう軍の夜襲を受け崩れかけた際、并州を守っていた封竇真ふうとうしんが謀反を企んだ。そのため拓跋素延が討伐、処刑した。


過去、拓跋素延は参合陂さんごうはの戦いにて多くの後燕こうえん兵を殺害していた。後燕攻略に乗り出してからの拓跋珪はいかに後燕人を招撫するかに意を砕いていた。このため、記述の通り多くの者を殺害したことを悔いてか、あるいは後燕人に向けてのポーズのためか、拓跋素延の参合陂での戦功を戦争犯罪扱いとし、罷免した。ただし中山ちゅうざんを獲得すると、幽州ゆうしゅう刺史に任じた。任地では贅沢放題に振る舞ったため間もなく左遷され、上谷じょうこく太守となった。後に曲陽きょくよう侯に封じられた。


この頃拓跋珪は黃老の術に心奪われ、様々な暮らし向きを質素なものに切り替えていった。自らが乗る輿も、身につけるものも、装飾をどんどん省いていく。皇帝の振る舞いに皆も従う中、しかし拓跋素延は豪奢な暮らし向きを改めようとしなかった。このため拓跋珪より憎まれるようになり、やがて積もり積もった失態から収監され、処刑された。




曲陽侯素延,桓帝之後也。以小統從太祖征討諸部,初定并州,為刺史。太祖之驚於栢肆也,并州守將封竇真為逆,素延斬之。時太祖意欲撫悅新附,悔參合之誅,而素延殺戮過多,坐免官。中山平,拜幽州刺史。豪奢放逸,左遷上谷太守。後賜爵曲陽侯。時太祖留心黃老,欲以純風化俗,雖乘輿服御,皆去彫飾,咸尚質儉,而素延奢侈過度,太祖深銜之。積其過,因徵,坐賜死。


(魏書14-3)




さて、黄老の術を寒食散と置き換えざるをえないのですよねえ。ともなると、拓跋珪の素朴好みの中で贅沢をしていたため殺されていたというのも、何らかの置き換えが必要な気がします。だって拓跋珪、晩年に宮殿とか建てまくりだったものね。そんな根っこの贅沢して、末端で素朴? いやいや、おかしいでしょそれ、ってゆう。いや文字通り読んでもいい気はするんですが。ただ、拓跋珪まわりでやけに詳細な話を聞かされると、その段階で眉につばを付けるべきな気がしてしまうのですよね。

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