魏書巻14 宗室伝1

宗族1  上谷公

上谷じょうこく公、拓跋紇羅たくばつこつら拓跋力微たくばつりきびの曾孫である。拓跋珪たくばつけい匈奴きょうど獨孤どっこ部から賀蘭がらん部に向かうにあたり、旧だい国の民を招集、三百世帯を得、弟の拓跋建たくばつけんと打ち合わせし、賀訥がとつに拓跋珪を主に推戴すべく勧めた。拓跋珪が代王を名乗ったとき、拓跋紇羅は常にその側についていた。拓跋珪の遠征があれば従軍し、大功を立てた。拓跋紇羅は代国再建に大いに関与したため、拓跋珪より優遇されていた。拓跋珪が皇帝を名乗ると拓跋建と同時に公爵に封じられたが、間もなくして死亡した。


息子の拓跋題たくばつだいは若い頃より武名を鳴らしていた。父の死後に襄城じょうじょう公に封じられた。慕容宝ぼようほうが立てこもる中山ちゅうざん攻めに従軍し、拓跋珪の命を受け中山周辺の各城を巡り、新城しんじょうを慰撫した。拓跋題の指示のもと、各地の民は安堵した。その功から王に進爵したが、義臺ぎだいにおける慕容麟ぼようりんとの戦いにて流れ矢に当たり、死亡した。拓跋珪は医師の陰光いんこうに治療を任じたがその甲斐もなく死亡したため、陰光を処刑した。


子の拓跋悉たくばつしつが爵位を継いだが、襄城公に降格させられた。死後に襄城王を追贈された。




上谷公紇羅,神元皇帝之曾孫也。初,從太祖自獨孤如賀蘭部,招集舊戶,得三百家,與弟建議,勸賀訥推太祖為主。及太祖登王位,紇羅常翼衞左右。又從征伐,有大功。紇羅有援立謀,特見優賞。及即帝位,與弟建同日賜爵為公。卒。

子題,少以雄武知名,賜爵襄城公。從征中山,受詔徇下諸郡,撫慰新城,皆安化樂業。進爵為王。擊慕容驎於義臺,中流矢薨。帝以太醫令陰光為視療不盡術,伏法。

子悉襲,降爵為襄城公。卒,贈襄城王。


(魏書14-1)




拓跋題よりもとばっちり極まりない陰光さんが悲しすぎた……そんな殺され方ってある!?

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