明元妃2 竇氏

拓跋燾たくばつとうには育ての母がいた。とう氏といい、もともと夫が罪を得て処刑されたため、ふたりの娘とともに宮廷に雇い入れられたのである。素行もよく、進退も礼に適っていたため、拓跋嗣たくばつしは拓跋燾の育ての母になるよう命じた。彼女は慈しみ深く、拓跋燾を丁寧に教え導いた。拓跋燾は竇氏の導きに感銘を受けて、彼女を敬うこと、まるで実母を慕うかのごとくであった。


拓跋燾が即位すると保太后と、更には保皇太后とまで尊んだ。このため竇氏の弟である竇漏頭とうろうとう遼東りょうとう王に封じた。竇氏は内外に多くの訓戒を示しており、広く讃えられていた。恬淡にして寡欲、喜怒を顔に表すことも少なく、ひとの美点をよく指摘し、ひとの短所には目をつぶった。


拓跋燾が涼州りょうしゅうの制圧に向かったとき、その隙をついて柔然じゅうぜんの将軍、呉提ごていが軍を率い攻め込んできた。ここで竇氏は各将に命令を飛ばし迎撃、みごと撃退に成功した。


440 年に死亡、63 歳であった。拓跋燾は三日にわたる葬儀を開催させ、盧魯元ろろげんに儀式の総監督を任じた。惠皇太后けいこうたいごうと諡され、崞山じゅんざんに葬られた。


これは竇氏の意向を汲んだものである。かつて竇氏が崞山に登ったとき、側仕えに言っていた。

「私が母として陛下をお育てになるにあたり、神を敬うがごとくその人となりを愛しました。もし死んでも卑しき鬼になどなりはしますまい。とは申せど、お国において妾にしかるべき地位が示されておらぬのは確か。ならば妾が先帝陛下の御陵に配されるのは禮に違うというものでしょう。そこでこの山の頂を、終の寝床としたく思うのです」


このため、崞山に葬られたのである。また崞山には竇氏のための霊廟も立てられ、その徳を讃える石碑も建てられた。




先是,世祖保母竇氏,初以夫家坐事誅,與二女俱入宮。操行純備,進退以禮。太宗命為世祖保母。性仁慈,勤撫導。世祖感其恩訓,奉養不異所生。及即位,尊為保太后,後尊為皇太后,封其弟漏頭為遼東王。太后訓釐內外,甚有聲稱。性恬素寡欲,喜怒不形於色,好揚人之善,隱人之過。世祖征涼州,蠕蠕吳提入寇,太后命諸將擊走之。真君元年崩,時年六十三。詔天下大臨三日,太保盧魯元監護喪事,諡曰惠,葬崞山,從后意也。初,后嘗登崞山,顧謂左右曰:「吾母養帝躬,敬神而愛人,若死而不滅,必不為賤鬼。然於先朝本無位次,不可違禮以從園陵。此山之上,可以終託。」故葬焉。別立后寢廟於崞山,建碑頌德。


(魏書13-5)




竇氏についての情報なさすぎ、というか先に唐の竇氏が引っ掛かりすぎてて泣いてたら、なんと論文がありました。


北魏の保太后について——太武帝の保母竇氏を中心として

https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/6133


これによると子貴母死の制度がある関係上、拓跋燾はできるだけ杜氏と接点を持たないようにさせていたようなのですね。その代わりの母として、竇氏が選ばれた。とは言えその竇氏の権勢がわりと大きくなっているのがちょっと面白いです。


あと竇漏頭はえっちだろ。(えっちだろ)

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