明元妃1 姚氏杜氏

拓跋嗣たくばつし後秦こうしんより迎えた、姚興ようこうの娘。婚儀が結ばれると夫人とされるも、金の神人像をうまく鋳ることができなかったため皇后に立てることは叶わなかった。とはいえ拓跋嗣は姚氏を深く寵愛し、どこに出向くにしても、その扱いは常に皇后に等しいものとさせた。後に拓跋嗣は改めて姚氏に皇后チャレンジに挑んでほしいと願い出るも、姚氏は辞退した。

420 年に死亡、拓跋嗣はその死を深く嘆き、皇后の璽綬を与え、哀皇后あいこうごうと諡した。雲中うんちゅう金陵きんりょうにて、拓跋嗣と合祀された。


拓跋燾たくばつとうの生母、氏。ぎょうの人で、杜超とちょうの妹にあたる。良家の子であるからと拓跋嗣にめあわされ、寵を得、拓跋燾を産んだ。拓跋嗣が即位すると貴嬪となった。

420 年に死亡、密貴嬪みつきひんと諡され、やはり雲中の金陵に葬られた。拓跋燾が即位すると、さらに尊号が送られ、また太廟にも祀られた。あわせて鄴には杜氏のための祠を建て、刺史らに祭事を執り行うよう命じたた。あわせて魏郡が杜氏の生まれた地である事を理由に租税や労務者の返却がなされた。この措置がなされると、祠の前庭に甘露が降ったという。




明元昭哀皇后姚氏,姚興女也,興封西平長公主。太宗以后禮納之,後為夫人。后以鑄金人不成,未昇尊位,然帝寵幸之,出入居處,禮秩如后焉。是後猶欲正位,而后謙讓不當。泰常五年薨,帝追恨之,贈皇后璽綬,而後加諡焉。葬雲中金陵。

明元密皇后杜氏,魏郡鄴人,陽平王超之妹也。初以良家子選入太子宮,有寵,生世祖。及太宗即位,拜貴嬪。泰常五年薨,諡曰密貴嬪,葬雲中金陵。世祖即位,追尊號諡,配饗太廟。又立后廟于鄴,刺史四時薦祀。以魏郡太后所生之邑,復其調役。後甘露降于廟庭。


(魏書13-4)




同じ杜氏に死んでるのとかきな臭くてよきですね。まぁこの時代、いまよりはるかに簡単に病気で一が死ぬし、変に勘ぐっても仕方ないとも思うんですが。

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