拓跋嗣27 宮車晏駕

7 月、拓跋嗣たくばつし拓跋燾たくばつとうに百官を率いさせた。

9 月、奚斤けいきん平城へいじょうに帰還させ、娥清がせい周幾しゅうきらに枋頭ほうとうを守らせた。そう将の李元德りげんとく許昌きょしょう奪還のため攻めてきた。周幾が迎撃、退散させた。改めて許昌に守軍を置き、枋頭に帰還した。


10 月、西宮さいぐうを拡張、また外垣牆がいえんしょうを築いた。総延長 8 km ほどである。

11 月、拓跋嗣は西宮にて死亡、32 歳であった。奚斤に南伐による獲得品の分配を遺言にて任じた。長孫嵩ちょうそんすう以下、官職に応じた分配がなされた。

12 月、明元帝めいげんていと諡され、雲中うんちゅう金陵きんりょうに葬られた。廟号は太宗たいそうである。


拓跋嗣は儒者を愛し、歴史や伝承をよく学んだ。前漢ぜんかんの史家である劉向りゅうきょうが撰じた新序しんじょ說苑ぜいえんにおける経典注釈における欠落を補い、改めて新集三十篇を編纂させた。この書は多くの経典史書よりの採録がなされ、広く古の大義が改めて拾い上げられていた。まことその資質は文武どちらにもわたるものであった。




秋七月,幸三會屋侯泉,詔皇太子率百官以從。八月,幸馬邑,觀于灅源。九月乙亥,車駕還宮。詔司空奚斤還京師,昌平侯娥清、交阯侯周幾等鎮枋頭。劉義符潁川太守李元德竊入許昌,詔周幾擊之,元德遁走。幾平許昌,還軍枋頭。

冬十月癸卯,廣西宮,起外垣牆,周回二十里。十有一月己巳,帝崩於西宮,時年三十二。遺詔以司空奚斤所獲軍實賜大臣,自司徒長孫嵩已下至士卒各有差。十有二月庚子,上諡曰明元皇帝,葬于雲中金陵,廟稱太宗。

帝禮愛儒生,好覽史傳,以劉向所撰新序、說苑於經典正義多有所闕,乃撰新集三十篇,採諸經史,該洽古義,兼資文武焉。


※資治通鑑掲載分

9 月、司馬楚之しばそしが実質支配していた地域を魏領として追認、汝南じょなん南陽なんよう南頓なんとん新蔡しんさいの四郡を豫州よしゅうに併合した。

11 月、李元德はこうに逃れた。汝陽からも王公度おうこうどが項に逃れた。劉粹りゅうすい姚聳夫ようじゅうふらを派遣し項を守らせた。北魏軍は許昌を破壊、鐘城しょうじょうを破損させた上その地を宋との国境として定め撤収した。拓跋嗣の死去は、その直後である。


(魏書3-27)




拓跋嗣がなんの前触れもなく死にすぎわろた。ともあれ、これで拓跋嗣は終了。中途半端に拓跋燾をやると消化不良に陥りそうなので、もう宋でも劉裕が退場してるのをいいことに、本紀をここで終了します。実は魏書の列伝ってあえて目を通してこなかったので、ここからは自分にとっての新規情報祭です。楽しみです。

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