拓跋嗣26 虎牢陥落

4 月、拓跋嗣たくばつし成臯せいこう入りし、虎牢ころうの様子を見届けた。このとき虎牢城內が水不足であったため、黄河こうがから水を汲み入れていた。そこで拓跋嗣は黄河に浮かべた船の上に攻城器具を備えさせ、水を汲みに出てきた宋軍を妨害させるよう命じた。さらに穴を掘り、虎牢城内の井戸を涸らさせた。拓跋嗣はその後洛陽らくように移動、石經せききょうを観覧する。蠻族の梅安ばいあんが数千人を率い貢物を献上してきた。


閏月、河內かだいに出て太行たいぎょう山脈を抜け高都こうとに至る。同月虎牢は陥落し、毛德祖もうとくそ翟広てきこう竇霸とうは姚勇錯ようゆうさく呉宝之ごほうし姜元興きょうげんこう竇温とうおんらを捕獲した。兵士らの多くは疫病にかかっており、2、3割のものは病死していた。拓跋嗣は晉陽しんようまで帰還。全北魏の民を進爵させ、褒美を与えた。


5 月、拓跋嗣は雁門かんもんに到着した。拓跋燾たくばつとう句注くちゅうの北まで、留守を任されていた者たちを率い出迎えた。


6 月、穆観ぼくかんが死亡した。




夏四月丁卯,幸成臯城,觀虎牢。而城內乏水,懸綆汲河。帝令連艦上施轒轀,絕其汲路,又穿地道以奪其井。遂至洛陽,觀石經。蠻王梅安,率渠帥數千人來貢方物。閏月己未,還幸河內,北登太行,幸高都。虎牢潰,獲劉義符冠軍將軍、司州刺史、觀陽伯毛德祖,冠軍司馬、滎陽太守翟廣,建威將軍竇霸,振武將軍姚勇錯,振威將軍吳寶之,司州別駕姜元興,治中竇溫。士眾大疫,死者十二三。辛酉,帝還至晉陽。班賜從官,王公已下逮於厮賤,無不霑給。五月丙寅,還次雁門。皇太子率留臺王公迎于句注之北。庚寅,車駕至自南巡。六月己亥,太尉、宜都公穆觀薨。丙辰,北巡,至於參合陂,遊于蟠羊山。


※資治通鑑掲載分

四月、拓跋嗣が直接指揮しても虎牢を落とせなかった。

一方、東陽とうようには檀道済だんどうさい軍が迫る。刁雍ちょうようが迎撃したいと申し出てきたが、叔孫建しゅくそんけんは却下し、退却を決意する。檀道済軍が臨朐りんく入りしたと聞き、叔孫建は食料品、攻城具をすべて焼き払い、撤退した。檀道済もそれ以上追うことはかなわなかった。竺夔じくき東陽とうよう城の損壊ぶりから、これ以上ここで守りを固めることは叶わないと判断。別城への移鎮を願い出た。

滑台かつだいに向かう叔孫建を追うため、檀道済は王懿おうい尹卯いんうに向かわせた。ただし撤退速度は極めて速く、王懿も追撃を諦め帰還した。刁雍はしょうりょう彭城ほうじょうはいの民五千世帯あまりを獲得、二十七の前線基地を築いた。

閏月、ついに虎牢が陥落。檀道濟は湖陸こりくに、劉粋りゅうすい項城こうじょうに、沈叔狸しんしゅくり高橋こうきょうにそれぞれ陣取っていたが、北魏ほくぎ軍よりの反撃を恐れ動かなかった。

奚斤けいきんらはえん諸州の郡縣に守将を配備、周幾しゅうきに河南の総取締を任じた。


(魏書3-26)




毛徳祖への救援が来ないのとか、まぁ確かに向かったところでどれだけ助けられるかも未知数ですものねぇ……しかしこうして読むと、つくづく好みですなぁ毛徳祖。王鎮悪との絆とかも考えるとさらに萌え。

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