拓跋嗣23 南伐開始
9 月、
秋九月,詔假司空奚斤節,都督前鋒諸軍事,為晉兵大將軍、行揚州刺史,交阯侯周幾為宋兵將軍、交州刺史,安固子公孫表為吳兵將軍、廣州刺史,前鋒伐劉義符。乙巳,幸灅南宮,遂如廣寧。己酉,詔泰平王率百國以法駕田于東苑,車乘服物皆以乘輿之副。辛亥,築平城外郭,周回三十二里。辛酉,幸橋山,遣使者祠黃帝、唐堯廟。因東幸幽州,見耆年,問其所苦,賜爵號。分遣使者循行州郡,觀察風俗。
※資治通鑑掲載分
「陛下は劉裕が突然攻めてこぬよう使者を送っており、故にこそ劉裕も陛下を尊重しておりました。不幸にも今劉裕は死にましたが、いきなりその死に乗じて攻め込めば、たとい滑台以下を手中に収めたとて、誰が讃えましょう。かつ、我が国にはいまだ
そも、劉裕が死んだところで、かの者の築いた防衛戦に動揺は見られません。ここであえて戦ってみせたにせよ、確実に滑台以下を落とせると、どうして言えましょう。今は和親を維持するほうが良いでしょう。そうすれば劉裕に抑え込まれていた権臣たちが相争い、必ずや変事を起こします。このタイミングを狙って征討軍を発すれば、兵らはさしたる労苦もなく、易易と
拓跋嗣は反論する。
「劉裕とて
「状況が違いすぎます。姚興が死んだ折、やつの諸子は相争っておりました。そのため劉裕はそのスキを突いております。一方、現在の江南にそのようなスキはございません。後秦の事例と比べるわけには参らぬのです」
しかし拓跋嗣は従わなかった。
(魏書3-23)
ぼく「崔浩オメーこれ本当は言ってなくて後日日記に残しただけだろこれ」
まあ、崔浩なら
あとこの辺の資治通鑑の書き方がめちゃくちゃ南贔屓なのに笑う。司馬光の筆によると拓跋珪も拓跋嗣も怯えまくりなんだよなぁ。お前マジそういうとこやぞ。
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