拓跋嗣22 立皇太子
422 年 3 月、
4 月。
獻懷長公主の夫の
この頃
同月、
七年春正月甲辰朔,自雲中西行,幸屋竇城,賜從者大酺三日、蕃渠帥繒帛各有差。二月丙戌,車駕還宮,賜從者布帛各有差,大饗于西宮。三月乙丑,河南王曜薨。
夏四月甲戌,封皇子燾為泰平王,燾,字佛釐,拜相國,加大將軍;丕為樂平王,加車騎大將軍;彌為安定王,加衞大將軍;範為樂安王,加中軍大將軍;健為永昌王,加撫軍大將軍;崇為建寧王,加輔國大將軍;俊為新興王,加鎮軍大將軍;獻懷長公主子嵇敬,封長樂王,拜大司馬、大將軍。初,帝素服寒食散,頻年動發,不堪萬機,五月,詔皇太子臨朝聽政。是月,泰平王攝政。劉裕卒,子義符僭立。
※資治通鑑掲載分
5 月、拓跋珪の晩年と全くおなじ寒食散による副作用に見舞われた拓跋嗣は、連年の天変地異に思い悩んでいた。ひそかに崔浩に諮問の使者を飛ばし、問う。
「趙や代の領分に不詳のきざしがある。いま、朕の負う病はいよいよはげしく、いざ朕の身になにかがあったとき、いまだ年幼い我が子らに、果たして何ができようか? 崔浩よ、後世のための策を編んではくれぬか?」
崔浩は答える。
「陛下はいまだお若くいらっしゃいます、病も間もなく癒えましょう。ならば、どうか不吉なことをおっしゃいませぬよう。拓跋珪様がお隠れになった折にても、後継者を尊ばぬことにより、陛下なくせばあわや国体滅亡の窮地にまで陥りました。ならば今は速やかに東宮をお建てになり、後継者候補を東宮入りなさいませ。そして賢く徳行を修めた父老を皇太子殿下の導き手とし、その左右には信頼の置ける若手を配し、殿下の友となさるのです。そうして宮殿内では万官を管理し、領内にお出になれば軍務政務を統括するに足る知見を身につけること叶いましょう。
かくして陛下は休養の機会を得、改めて万年繁栄の計を編み出されるのでしょう。国は主を戴き、民は帰すべき先を知り、奸臣はなりを潜め災いは収まるのです。拓跋燾様は年々その明睿溫和なるをお示しとなっておられます。かのお方を後継者としてご指名なさいませ。もし元服なさってのちに後継としてご指名なされれば、それは災いを呼びましょう」
また長孫嵩は言う。
「長ずるものが順に適い、賢人であれば人は服します。今拓跋燾は長男でおられ、かつ聡明でもあらせられる。かのお方を後継にお据えになるのが天のお導きでしょう」
これらの発言から、拓跋嗣は拓跋燾を皇太子とした。
そして拓跋燾に朝政を仮に任じ、
「長孫嵩は四世に渡って拓跋を支えてくれている。奚斤の知謀は遠近に轟くところ。安同は世情に深く通じている。穆觀は政務の枢要を知り、我が意をよく酌んでくれる。崔浩の博覧強記なること、天地人すべてを見渡すかのようである。丘堆は大きな手柄こそないが、公としての責務を粛粛と果たしてくれている。この六人が太子を補佐してくれるのであれば、おれは官吏らと共に諸国をめぐり、あるいは悪を裁き民を慰撫し、天下を治めることが叶おう」
(魏書3-22)
拓跋嗣も寒食散による中毒症状に悩んでたとか、どれだけ北魏の主ってストレスフルだったんでしょうね。そしてここにある資治通鑑は崔浩伝辺りで出てくるのかな。あるいはそれこそ長孫嵩伝との合体か。ともあれ、拓跋嗣の命もわずかなのをひしひしと感じます。そんな状況であんな大規模南伐決めるんだから凄まじいよな。
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