拓跋嗣19 司馬楚之

419 年 3 月、蓬臺ほうだいの北に宮殿を築いた。東晋とうしん将の薛弁せつべん司馬楚之しばそし司馬順明しばじゅんめい司馬道恭しばどうきょうが遣使、投降を願い出た。


4 月、拓跋嗣たくばつし東廟とうびょうにて祭祀をなした。南方を巡察してまわり、立ち寄った各地に今年の租税を免除する旨伝えた。

5 月 に帰還、通過した地域の租税を一年分返却した。

6 月、東晋に属していたきょう族の党道子とうどうしが帰属した。


8 月、東方を回り、通過した地域の租税を一年分返却した。

9 月、白登山はくとうざんに宮殿を建てた。


12 月、西方を巡察した。




四年正月壬辰朔,車駕臨河,大蒐于犢渚。癸卯,車駕還宮。三月癸丑,築宮於蓬臺北。司馬德文寧朔將軍、平陽太守、匈奴護軍薛辯及司馬楚之、司馬順明、司馬道恭,並遣使請降。

夏四月庚辰,車駕有事於東廟,遠藩助祭者數百國。辛巳,南巡,幸雁門。賜所過無出今年租賦。五月庚寅朔,觀漁于灅水。己亥,車駕還宮。復所過一年租賦。六月,司馬德文建威將軍、河西太守、馮翊羌酋党道子遣使內屬。

秋八月辛未,東巡。遣使祭恒岳。甲申,車駕還宮。所過復一年田租。九月,築宮於白登山。

冬十有二月癸亥,西巡,至雲中,踰白道,北獵野馬於辱孤山。至于黃河,從君子津西渡,大狩於薛林山。


(魏書3-19)




長安ちょうあん赫連勃勃かくれんぼつぼつに攻め落とされた、翌年。12 月に西方に動いているのは、これ赫連勃勃に対する権勢の意味合いもあるんじゃないかなとは思うんですが、どうなんでしょうね。それにしてももうちょい出来事を書き残してください、巡察の話ばっかりで読んでてしんどい……。

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