拓跋嗣20 劉裕簒奪

420 年 3 月、拓跋意文たくばついぶんが死亡した。


4 月 河西屠各かせいとかく黃大虎おうだいこきょう不蒙娥ふもうがらが帰順した。灅南宮るいなんきゅうを建てた。

5 月に詔を下す。「わが父宣武皇せんぶてい拓跋珪たくばつけいさまはそのふるまい道に合致し、天よりその素質が与えられた。その偉大なるお名前にもたらされる栄誉は尽きず、その甚大なる功績が世にもたらされたこと数え切れぬ。今いま予言の書に記されていた内容を鑑みるに、天意が先帝のもとにもたらされ、まばゆく輝いたことが示されている。ならばあらためて道武帝どうぶていとお呼び奉り、その天とも通じた功徳を称えるべきこと、祖霊の廟や天下に告知する」

司馬國璠しばこくはん司馬道賜しばどうしが謀反を起こしたため誅した。


閏月、拓跋烈たくばつれつが死亡した。


11 月、延普えんふ乾城かんじょうを築かせた。

12 月、杏城きょうじょう狄溫子てきおんしが三千世帯あまりを率い帰順した。


この年、劉裕りゅうゆうが主の司馬德文しばとくぶんを殺害して皇帝を自称、そうと号した。西涼せいりょう李歆りいん北涼ほくりょう沮渠蒙遜そきょもうそんに攻め滅ぼされた。弟の李恂りじゅん敦煌とんこうで自立した。




五年春正月丙戌朔,自薛林東還,至于屋竇城,饗勞將士,大酺二日,班禽獸以賜之。己亥,車駕還宮。三月丙戌,南陽王意文薨。

夏四月,河西屠各帥黃大虎、羌酋不蒙娥等遣使內附。丙寅,起灅南宮。五月乙酉,詔曰:「宣武皇帝體道得一,天縱自然,大行大名未盡盛美,非所以光揚洪烈,垂之無窮也。今因啟緯圖,始覩尊號,天人之意,煥然著明。其改『宣』曰『道』,更上尊諡曰道武皇帝,以彰靈命之先啟,聖德之玄同。告祀郊廟,宣于八表。」庚戌,淮南侯司馬國璠、池陽侯司馬道賜等謀反伏誅。

六月丙寅,行幸翳犢山。秋七月丁酉,西至于五原。丁未,幸雲中大室,賜從者大酺。八月癸亥,車駕還宮。閏月甲午,陰平王烈薨。

冬十有一月,詔驍騎將軍延普城乾城。十有二月丁亥,杏城羌酋狄溫子率三千餘家內附。

是歲,劉裕廢殺其主司馬德文,僭自稱皇帝,號宋。李歆為沮渠蒙遜所滅,歆弟恂自立於敦煌。


※資治通鑑掲載分

5 月、司馬國璠らの謀反では、司馬休之の息子、司馬文思しばぶんしからの密告があった。司馬國璠は平城へいじょうの豪族ともつらなっており、族誅扱いとなったものは数十人に及んだ。その中には封懿ふういの子である封玄ふうげんもいた。封玄は後燕の旧族であったため、甥の封磨奴ふうまどだけは命が助けられた。


(魏書3-20)




魏書のこの、劉裕のことなんざ国内のタイムラインに乗っけてやらん、みたいな姿勢、ちっちゃくていいですね。

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