拓跋嗣17 劉裕滅秦

7 月、城の南に白臺はくだいが建てられた。司馬順之しばじゅんし常山じょうざんにて流言を飛ばして民を惑わせ、二十五才のときに人君になったと自称。封龍山ふうりゅうざんに立て籠もった。ちょう郡の大盜賊、趙德ちょうとうが司馬順之を捕獲、平城に送致。処刑された。


8 月,劉裕りゅうゆう姚泓ようおうを滅ぼした。


9 月、東晋から後秦に流れていた司馬休之しばきゅうしや息子の司馬文思しばぶんし親族の司馬國璠しばこくはん司馬道賜しばどうし溫楷おんかい魯軌ろき韓延之かんえんし殷約いんやく桓謐かんひつ桓璲かんすい、そして桓溫かんおんの孫である桓道子かんどうし刁雍ちょうよう袁式えんしょくといった人物数百人が北魏に投降してきた。また後秦将の姚成都ようせいとと弟の姚和都ようわともまた投降した。


10 月、長孫嵩ちょうそんすうらを平城に帰還させた。叔孫建しゅくそんけんぎょうを守らせた。拓跋夔たくばつきが死亡した。


11 月、長孫嵩らを樂平がくへいに向かわせた。また娥清がせい周幾しゅうき、叔孫建らに謀反を起こしていた翟蜀てきしょく翟洛支てきらくしらを討伐させた。各州の租税取り立てを再開した。


12 月、河東かとう河內かだいに散っている姚泓の皇族らを平城に送り届けたものに褒賞を下した。ていの豪族、徐騃奴じょいど齊元子せいげんしらがように住まう三万世帯を率い帰順した。拓跋嗣たくばつし王洛生おうらくせい楊聲ようせいに出迎えに向かわせた。姚敞ようしょうやその弟、姚僧光ようそうこう姚定世ようていせいが洛陽から帰順してきた。


この年、西涼の李暠りこうが死亡。息子の李歆りいんがあとを継ぎ、北魏に使者を遣わせた。




秋七月,作白臺於城南,高二十丈。司馬順之入常山,流言惑眾,稱受天帝命,年二十五應為人君,遂聚黨於封龍山。趙郡大盜趙德執送京師,斬之。八月,劉裕滅姚泓。九月癸酉,司馬德宗平西將軍、荊州刺史司馬休之,息譙王文思,章武王子司馬國璠、司馬道賜,輔國將軍溫楷,竟陵內史魯軌,荊州治中韓延之、殷約,平西參軍桓謐、桓璲及桓溫孫道子,勃海刁雍,陳郡袁式等數百人來降。姚泓匈奴鎮將姚成都與弟和都舉鎮來降。

冬十月己酉,詔司徒長孫嵩等還京師,遣叔孫建鎮鄴。癸丑,豫章王夔薨。十有一月,司徒長孫嵩等諸軍至樂平。詔嵩遣娥清、周幾等與叔孫建討西山丁零翟蜀、洛支等,悉滅餘黨而還。復諸州租稅。十有二月己酉,詔河東、河內有姚泓子弟播越民間,能有送致京師者賞之。庚申,田于西山。癸亥,車駕還宮。氐豪徐騃奴、齊元子等,擁部落三萬於雍,遣使內附,詔將軍王洛生及河內太守楊聲等西行以應之。壬申,幸大寧長川。姚泓尚書、東武侯姚敞,敞弟鎮遠將軍僧光,右將軍姚定世自洛來奔。

是年,李暠卒,子歆立,遣使朝貢。


(魏書3-17)




趙郡の大盜賊、趙德がめっちゃ気になります。なんなんだこいつ。

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