拓跋嗣14 以賑貧窮
7 月、
9 月、河南の流民が続々と帰属、全部で三千世帯余りとなった。
10 月、
同月、「古人は言っている。百姓が足りて初めて君主に余裕が出るものである、と。民が富んでいて国が貧しかった、と言ったことなどあっただろうか。しかるに現在は霜害や旱魃による被害も大きく、収穫高も向上しきらない。寒さや飢えを耐え凌ぎきれないものも非常に多い。ゆえに国庫に納まる衣料食料を提供することで、貧困困窮に対応せんとするものである」
と詔勅を下した。
秋七月,還宮,復所過田租之半。九月,闕有差。河南流民,前後三千餘家內屬。京師民飢,聽出山東就食。
冬十月壬子,姚興使散騎常侍、東武侯姚敞,尚書姚泰,送其西平公主來,帝以后禮納之。辛酉,行幸沮洳城。癸亥,車駕還宮。丙寅,詔曰:「古人有言,百姓足則君有餘,未有民富而國貧者也。頃者以來,頻遇霜旱,年穀不登,百姓飢寒不能自存者甚眾,其出布帛倉穀以賑貧窮。」十有一月丁亥,幸犲山宮。庚子,車駕還宮。
(魏書3-14)
寒冷化がひどくなるのはもう少し先というイメージがあるんですが、この当時も結構やばかったみたいですね。関中でもちょくちょく飢餓の話出るものね。あ、江南でもか。
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